テレ朝・山本雪乃アナが忘れられぬ思い出 兄が小5の中田翔に浴びた2本の本塁打
「あんたたち、根性なしか!」忘れない、母の放った痛烈な一言
兄との思い出も深いが幼少期の写真を見て思い出すのが、両親の支えが大きかったこと。入社後に担当した熱闘甲子園やスポーツ番組など、人物に寄り添って取材するチャンスに恵まれたのも、野球のおかげと感謝もしている。
「入団当初、父と兄2人は、リトルの体験練習で野球の硬球の音が怖すぎて、『これは無理かもな』という雰囲気で家に帰ってきたそうです。その3人を見て、母が『あんたたち、根性なしか!』と一言。この言葉が、山本家の野球人生の始まりです」
厳しくも愛情のある言葉に奮起した兄たちを、父も母も全力でサポートした。入団後の父母の方々に兄たちだけでなく、山本アナも自身も育ててもらった感謝の思いがある。
「みんなで焚き火をしたり、大きな鍋の豚汁を食べたり、時々グラウンドでベースランニングに参加させてもらったり。その思い出は、お父さん、お母さんたちの大きな支えがあってこそのものだったと、球児たちを取材するようになったとき、改めて実感しました」
兄2人の野球、両親にとっての野球、山本アナから見た野球。それぞれから見た角度は異なり、喜びも悲しみも受け取り方は違う。それが今の“伝え手”という立場に活かされている。
「今、(担当している)モーニングショーでは農家さんなど様々な職業の方に、そして、TOKYO応援宣言では、アスリートのみなさんに取材をさせていただいています。みなさんが、お仕事やスポーツに対して、その時、その時で、様々な思いを巡らせています。そして、それは私の『野球』と同じように“大切な人生の一部”を聞かせてくださっているんだという気持ちをもって、お話を伺いたいと思っています」
自分も高校球児になりたかった、といつも思っていた。新人時代に担当した「熱闘甲子園」は「特別な番組。見る前に(兄妹)みんなお風呂を済ませ、正座をして始まるのを待っていました」。ずっと、憧れの眼差しを向けていた長島三奈キャスターのような温かいインタビューが自分にはできていたのか、高校球児へのリスペクトが伝わったのか……自問自答する日々が続いた。偉大な先輩の背中に追いつこうと必死だった夏が、アナウンサー人生の第一歩。自分が持つ野球への思いと同じように、取材対象者が向き合う事象に敬意を持って、今、言葉を伝えている。
これまでの歩みを振り返った時、「自分のことだけに精いっぱい、何かを堂々と語れるほど、実力はありません」と力不足を感じてしまうと山本アナは言葉を振り絞るが、野球をひた向きに追いかけてきたから見えることだってある。少年野球の選手たちへ、グラウンドが待ち遠しい子供たちへメッセージを聞いた。
「思うように練習ができない中で、焦りや戸惑いがたくさんあると思います。それは、自分だけではなく、ご家族やお友達や先生も同じ気持ちです。同じ気持ちを共有できる人がいることに感謝して、その人たちと、必ずやって来る大きな喜びを分かち合えるように、大切な人を守りましょう。この期間が明けた時のホームランはきっと格別! それまで素振りを頑張ってください!」
子供の頃の思い出と周囲の支えは、きっと将来の力となる。