グラブはキッチン用品から生まれた 素手から始まったグローブの長くて深い歴史

1974年にミズノ社が初めてポジション別のグラブを発売

 また、ファーストミットやキャッチャーミットにもウェブが装着されるようになり、機能性は高まった。以前のミットは、投球を止めるものであり、右手を添えないとしっかりボールを確保することができなかった。しかし、ウェブがついた新しいミットになって、片手捕りが容易になった。シンシナティ・レッズの名捕手、ジョニー・ベンチはこのミットの特性を活かして片手捕りで捕球して素早く送球して走者を刺し、名捕手の名をほしいままにした。

 1970年代まで、野手のグラブはポジション別の特徴はなかったが、1974年、ミズノ社が初めてポジション別のグラブを発売した。投手用は、投球の負担にならない比較的軽いグラブ、二塁手は打球を当てて止める小さくて浅いポケットのグラブ、三塁手は強い打球が飛ぶので深いポケットのグラブ、遊撃手用は二塁手用と三塁手用の中間型、外野手用はフライを捕球するために縦長の形状。こうした機能性を重視したグラブがNPBだけでなくMLBでも好評で、ミズノは一躍グラブメーカーとして発展した。他の日本のメーカーも商品開発を進め、日本は、本家アメリカを抜いて世界最大のグラブ生産国となった。

 現在では日本のメーカーは、量産型のグラブの他に、有名選手などのオーダーメードのグラブも受注している。そうした有名選手のグラブのデザインが「○○選手タイプ」として販売されることも多い。最近は大手のスポーツメーカーだけでなく、グラブ専門の小さな工房ができて、日米の有名選手のグラブを作る例も出てきている。

 ちなみに現在では、グラブを作る職人とミットを作る職人は別になっていて両方を手掛ける職人は少ない。技術的に異なる部分が多いからだ。グラブ、ミットは、日本の職人の技によって、高度に発達したといってよいだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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