秋山、清原、デストラーデに繋いだ技 西武黄金期の“職人”が刻んだバントの価値
ソフトバンクの今宮のバントに見る「上がってきた価値」
7月3日、ソフトバンクの今宮健太内野手が史上最速、そして史上初となる20代での通算300犠打を達成した。プロ11年目、通算1067試合での達成だった。
「今宮選手を見ていて思うのは、彼も最初はピッチャーだった。私と違って、才能があるから、ものすごいパンチ力がある。打つだけでも十分にいけたんだろうけど、クリーンアップがホークスはしっかりしている。そこにどういう形でつないでいったら、チームが勝つことができるかを考えたんだと思います」
まさに西武黄金期と似たような形だった。平野氏は続けた。
「そうですよね…強かった時の選手が監督をやっているわけですから。秋山幸二もそうだし、工藤公康監督もそう。勝つことによって、チームも個人も“潤う”ということをよく知っています。もっというと、応援してくれているファンの気持ちも潤う」
監督、選手が勝つために何が最も大切なのかを分かっている。だからこそ、今宮がこれだけの数をこなせたのだと力を込めた。常勝軍団にいたから共鳴できる感覚だった。
「私と違ってひとつ言えることは、ポイントゲッターになった時に、自分も打つことができるバッターだからそのあたりのメリハリがしっかりとわかっています。『俺が、俺が……』という気持ちを持たずに、次につなぐということを彼なりにしっかりとやっている。要は(今宮は)プロと言うことですよ」
平野氏は望んでやっていたバントだったが「一番、嫌でした」というシチュエーションは、バントのサインが出たときに『やれて、当たり前』と思われることだった。
「それが、ベンチがそうだったんですが、ファンの方々からもバットに当てるだけだろうと、簡単にできるだろうと思われるのが辛かったよね。結構、難しいんだよ、バントって(笑)」
ただ、近年はバントの価値は高まっていると感じている。平野氏の記録を元巨人の川相昌弘氏が1998年に超え、さらにはメジャー記録も超え、最終的には通算533犠打を残した。それ以降、地味なものという認識から、その高い技術力に注目が集まるようになっていった。
「これだけバントの名手と言われる選手が増えてきたし、大台に到達すると○○犠打と大きく報じられるようにもなった。当時はそういうのが、あんまりなかった。私がずっと走って、抜かれるまでは、川相(昌弘)が一生懸命やっていた。犠打は結構、攻撃の中ではいいところを占めているんだなと理解を得られるようになったし、簡単じゃないよ、と言ってくれるようになりましたね」
バットで打球のスピードを“殺す”のではなく「ボールは体で殺す」。バントシフトの猛チャージを内野手にかけられれば「誰も捕れないところへ落とす」という“奥義”を持つ。平野氏が刻んだ記録と価値は色あせることはない。