日大三・小倉監督が父を亡くした20歳の日…甲子園中止に沈む選手に明かした身の上話

日大三・小倉全由監督【写真:佐藤佑輔】
日大三・小倉全由監督【写真:佐藤佑輔】

甲子園中止に沈む選手たちに、指揮官はとうとうと自身の身の上話を語った

 今夏の東京都独自大会を西東京8強で終えた日大三。言わずと知れた東京の名門を長年率いる小倉全由監督も、甲子園中止という前例のない事態には、選手にかける言葉を失ったという。それでも、日大三ナインが甲子園なき夏から立ち直れた裏には、選手から「親父のよう」と慕われる小倉監督なりの、深い身の上話があった。

 小倉監督が選手を集め、甲子園中止の一報を伝えたのは5月24日のこと。「自分たちも経験がないこと。気持ちはわかるなんて言えない。やり切れない、かわいそうという思いの一方で、それでも、今までやってきた練習に意味がなかったとか、この3年間に何の意味があったんだとだけは言っちゃいけない。それを意味のあることに変えないと。『最後まで熱くやろう!』と伝えました」と当時の様子を明かす。

 小倉監督自身、若かりし日にはやり切れない出来事を経験した。日大三で学生コーチを務めていた20歳のとき、父が交通事故で他界。「それまでは病気ひとつしたことない親父だった。大学生の頃なんて、親と頻繁に連絡とったりなんてしないじゃない。亡くなったのが5月で、正月以来会ってないまま二度と会えなくなっちゃった。今まで当たり前にあったものが、ある日突然なくなってしまった」と当時の自分を今の高校生に重ね合わせて話をしたという。

「でもね、それで自分の人生が終わりというわけじゃない。うちは実家が農家で、決して裕福な家庭ではなかった。親父が突然死んで、大学も辞めなきゃいけないかなと思ってたけど、お袋が『田んぼ売ってでも畑売ってでも何とかするから、それがお父さんの望みだから』と言うんですよ。そこで初めて、親が自分を卒業させるためにどれだけやってきたかわかった。周囲の支えって、そうやって初めてわかるもの。こんな話、たとえ話にもならないかもしれないけど、選手にも、何の意味もないと逃げたらダメなんだよと話しました」

 甲子園という目標を失った選手も同様だ。各地方高野連の尽力で、程なくして次々と代替大会が実現。選手もまた、甲子園がなくなって初めて、どれだけ自分たちが応援されているかを身を持って知った。「日本中が、夏は高校野球の熱いプレーが見たいと、今回はやらせてあげたいと動いてくれた。そういう思いは選手も強く感じたでしょう」と指揮官も感謝の言葉を口にする。

「僕は、高校野球が人間形成のためだとか、社会に出ても通用する人間になるためにやるんだとは思わない。高校野球はあくまでも甲子園のためにやるもの。その甲子園を目指す過程の中で、人間が作られていくんだと思ってる。その甲子園がなくなって、これまでの練習に意味を見出すとしたら、この経験を今後に生かしていくしかないじゃない。最後まで熱くやらなきゃ、今までの練習に意味がなかったとは言っちゃいけない」

 ここまで積んできたつらい練習の日々と、周囲の支えを実感させた指揮官の身の上話。「監督さんは父親以上の存在」「監督さんを日本一の男にしたい」。選手が口々にそう語る、日大三の強さの秘密が垣間見えた。

(佐藤佑輔 / Yusuke Sato)

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