徹底した自己管理、恋人宅にバット… 高橋慶彦が猛練習した広島時代の真実

野球が下手だったから練習しないといけなかった。プロに入っても変わらない貪欲な姿勢

 3年目の1977年の後半から遊撃のレギュラーとなっても、猛練習は変わらなかった。当時の高橋氏のルーティンは凄まじい。「睡眠は7、8時間取るようにしていたけれど、それ以外は暇さえあればバットを振っていたかった。頭の中に自分なりの“時間割”があった」と話す。周りからは猛練習と言われるが、高橋氏にとってみれば、睡眠時間から逆算して、練習時間を振り分けているだけという感覚。空いた時間を練習に充てていただけ。効率よく練習した結果、練習時間が人よりも多かった。

 本拠地・広島市民球場でのナイターに出場する場合、午前9時半頃起床し、朝食を30分取った後、室内練習場で約3時間打撃練習。市民球場に移動して午後2時から2時間チーム練習に参加し、相手チームの練習中も、午後6時の試合開始直前までベンチ裏でティー打撃に取り組んだ。試合終了後、寮で夕食と風呂を済ませると、ようやく増額された給料を持って軽く夜の街に繰り出すこともあったが、寮に戻ると就寝前に必ずバットを振った。「当時交際していた東京の彼女の家にも、バットを置いていたからね」と付け加え、ニヤリと笑った。

「野球が下手だから、練習するしかなかった。というより、むしろ下手で良かった」とも語る。「10段階で1からスタートした人間は、2、3、4とレベルアップする従って、自分がうまくなっていく実感と喜びがあり、どんどんやる気が湧いてくる。しかし、最初から7や8にいる連中は、努力してもなかなか自分の上達を実感できず、つらくなってくる」。

 また、誰も見ていない所でもバットを振り続けた高橋氏は、レギュラーを獲得し生意気盛りの頃、知人の会社社長から「慶彦、“人”という漢字を見ろ。人は人に支えられて生きているんだぞ」と諭されたが、こう言い返したという。「いいえ、1人でも、股を広げて立てば“人”という字になるので、自分で頑張ります」。

 しかし、現役引退後、「あれは間違いだった」と思い返したという。「親父とおふくろのお陰でこの世に生まれ、高校時代の先輩や監督のお陰で体力、気力がついた。そして、カープという良い“畑”に入れたことを含めて、俺は人との出会いのお陰で生きてきた」と。63歳となった男の笑顔は、穏やかさを帯びていた。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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