石原慶幸、五十嵐亮太…「谷間の世代」と呼ばれても、同世代に誇りが持てるワケ

智弁和歌山と決勝を戦った平安・川口は女子野球指導者に

 甲子園決勝の相手は平安(京都)だった。エース左腕・川口知哉投手の強気なマウンドも魅力的だった。当時はメディアのインタビューで「ビッグマウス」と騒がれたが、後に真相を聞くと“誘導”された質問であったことも教えてもらった。オリックスにドラフト1位で入団後はケガやイップスなどに悩まされ、2004年で現役を引退。一時は野球から離れたが、少年野球の指導から、教える楽しさを覚え、現在は女子プロ野球の指導者を務めている。

 ひとまわり以上も年下の女子選手たちは、川口の凄さなんてもちろん知らない。知らないから、4球団競合になった話題がドラフトの時期に出ると、驚いたような目で選手から見られることもある。選手は彼から教えを請う。川口自身、現役時代に多くのコーチから自分に合うものも、合わないものも教えられた。時にはそれがストレスになったが、今となっては、全ての経験が糧となり、指導の引き出しが増えている。指導者として、また野球と向き合っている姿をグラウンドで見た時、なんとも言えない嬉しさがこみ上げ、また誇りに思えた。

 1997年当時、甲子園では一学年下の代に怪物たちが多くプレーしていたのも知っていた。古木克明(豊田大谷→横浜)、藤川球児(高知商→阪神)…だが、3年生も素晴らしい選手がいた。名前を挙げ出したらキリがない。その他にもNPBでコーチやスカウトで残っている選手たち、少年野球で子供を教えているOBもいる。高校野球の監督も増えてきた。「昭和54年会」を少人数で作っているグループもあるが、今、不惑を迎えたことを機に集まろうという声も上がっている。

 世代としてのNPBの活躍は華々しいものではなかったかもしれない。ただ、彼ら一人一人の活躍が嬉しかった。近年では活躍した選手の裏、“功労者”として名前を聞けただけでも、新しい野球の楽しみ、深みを見つけられた気がした。

 現役を引退しても、野球界のために尽力している同世代がいる。石原や五十嵐もこれから後進育成のステージに入っていくだろう。しぶとく、そして背中で見せる選手を育てていってもらいたい。育てる難しさ、喜びの声を今度は聞き、伝え手として届けていきたい。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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