広島のレジェンド高橋慶彦氏は今なにを? 自身の名前に因んだ飲食店は予約殺到
都内でジンギスカン店を監修 「人と人をつなげることが俺の仕事」
33試合連続安打のNPB記録保持者で、1970年代中盤から80年代にかけて広島の黄金時代にレギュラー遊撃手として活躍した高橋慶彦氏。躍動感あふれるプレーと甘いマスクで、若い女性を中心に球界きっての人気を誇った。63歳となった今の生活に迫った。
現役時代は15年間在籍した広島をはじめ、ロッテ、阪神を渡り歩き、引退後もダイエー(現ソフトバンク)、ロッテ、オリックスでコーチを務めた高橋氏は現在、福島市の自宅を拠点に全国を飛び回っている。
東京・大森の「ジンギスカン慶彦」と、福島市の「ホルモン慶彦」。旧知のオーナーに頼まれ、自身の名前にちなんだ両店の監修を務めている。両店を月に1度ずつ、1度につき2~3日訪れ、テーブルを回ってサインや写真撮影に応じる。高橋氏の“出勤日”がSNSで告知されると、コロナ禍のご時世にあっても、予約でいっぱいに。かつての“慶彦ギャル”とおぼしき50歳前後の女性の姿が目立ち、背番号「2」や「TAKAHASHI」のネームが刺繍された広島カープのユニホームを着て来店する人も。「こんな63歳のじいちゃんのためにファンが集まってくれるなんて、感謝しかない」と笑う。
とはいえ、「おいしい物を出すことが1番大事。俺自身が本当においしいと思うからこそ、自分の名前を出してもらっている。実際、1度来てくれたら、俺がいる、いないに関わらず、リピーターになってくれるお客さんが多いよ」と強調する。
「ジンギスカン慶彦」は菊池佑太店長に羊の仕入れなどは一任している。ジンギスカンといえば北海道、というイメージが強い。だが、菊池さんのリサーチによると「日本で1番羊肉を食べているのは、岩手県遠野市の人たち」という事実が。また、ジンギスカンブームが去った後、農場から飲食店に対する印象は一変し、あまりよく思わない人が多かったと言う。農場を一軒、一軒まわって、羊愛を力説。関係を築き、良質な羊を卸してもらっている自負がある。豊富な知識に高橋氏も「この“羊愛”、おもしろいやろ?」と目を細める。野球を愛し、野球に一心不乱に取り組んだ自分の現役時代に通じるものがあるのかもしれない。
今年の6月にオープンという飲食業では厳しい局面でのスタートでも、笑顔でお客さんを迎えている。「コロナ禍で外食もままならなくなって、人と会うということがどれだけ楽しいかを、みんなが再認識したんじゃないかな」と飲食街に活気が戻る日を心待ちにする高橋氏。
その他、知人が経営する福岡県の貿易会社の取締役も務めている他、多忙な毎日を送っている。小・中学生向け野球教室の指導、プロ野球の解説を請け負うこともある。「楽しんで仕事をしています。人と出会い、人と人をつなげることが俺の仕事だと思っています」と満面に笑みをたたえる。歴代5位の通算477盗塁、盗塁王3度を誇る“いだてん”は今も、人と出会うために、精力的に全国を走り回っている。かつてファンを魅了し、村上龍が小説「走れ!タカハシ」に描いた躍動感は健在だ。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)