元巨人篠塚氏を育てた“怪物・江川”の剛速球 高校時代に絶望した「見たことない球」
「一流投手が一流打者を育てる。その逆もまたしかり」
高校時代にとどまらない。「プロに入ってからも、相手投手のスピードに驚くことはなかった。よく『プロで対戦した投手の中で、1番速かったのは誰ですか?』と聞かれるけれど、ピンとこないんだよね」と言う。150キロを超える速球で「スピードガンの申し子」と呼ばれた中日の小松辰雄氏も、「炎のストッパー」の異名を取った広島の津田恒美氏も、江川氏との対戦で受けた衝撃には遠く及ばなかった。
江川氏との対戦は、天才打者と呼ばれた篠塚氏の出発点にもなった。「打者として1番大事なのは、相手投手の1番速い球を遅れずに打つこと。変化球打ちはあくまで、速球にタイミングを合わせることができた上での対応になる。僕の場合は、最初に江川さんの球を目に焼き付けたお陰で、その後が楽になった。江川さんのお陰です」と明かすのだ。
篠塚氏は1976年に巨人入り。江川氏は3年後の79年、いわゆる「空白の1日」事件を経て入団し、篠塚氏も同年から1軍に定着して、長年盟友としてチームに貢献した。「江川さんと高校時代の対戦について話をしたことがあるけれど、江川さんは全く覚えていなかった。『そうだったか?』と。特に高校時代は打たれることが稀だった人だから、僕が打ったヒットを覚えてくれていてもよさそうなものだけどね」と笑う。
「一流投手が一流打者を育てる。その逆もまたしかり」といわれる好例だろう。