原監督から猛ゲキも…元巨人外野手が語る常勝軍団での日々「12、3回の肉離れ」

巨人、楽天でプレーし、現在アカデミーコーチの橋本到さん【写真提供:読売巨人軍】
巨人、楽天でプレーし、現在アカデミーコーチの橋本到さん【写真提供:読売巨人軍】

原監督から「だらしない」とゲキ、直接指導で掴んだ2014年開幕スタメン

 2008年夏。橋本さんは仙台育英高(宮城)で甲子園に出場した。菰野(三重)のエースだった西勇輝投手から5安打を放ち、鮮烈な印象を残した。同年のドラフト会議で巨人から4位指名を受け、将来を嘱望された。

「最初のキャンプで中井(大介・現DeNA)さんのフリー打撃のボールを外野で捕球しようとしたら、伸びてきて、取れませんでした。何だ、コレは! と驚きました。2年目の紅白戦では東野(峻)さんや山口(鉄也・現巨人3軍コーチ)さんの投げた球がバットに当たらなかったんです」

 ファームで技術を磨く日々が続いた。同期入団の大田泰示外野手(現・日本ハム)が先に1軍から声がかかった。悔しかった。負けたくないと、バットを振った。2年目に1軍デビューも無安打。それからは1、2軍を行き来する時間が長かった。そして、6年目の2014年に転機は訪れた。

「その年のオープン戦開幕から調子がよかったんですが、ロッテとのオープン戦で涌井(秀章、現・楽天)さんから2三振して途中で代えられました。試合後、原監督が僕と(大田)泰示に『だらしない』とメディアを通じて、おっしゃったことを聞きました。自分の代わりに外野に行ったのが、内野手の藤村さん。悔しかったですし、これではいけないと思いました」

 原監督は言い放しで終わらなかった。次の日には直接指導を受けた。橋本さんの気持ちは楽になり、また頑張れた。そこから打撃を見直すと打撃は上昇モードへ。指揮官から、開幕1軍を託されたのだった。

「緊張しすぎて、開幕戦のこと、ほとんど覚えていないんです。気がついたら、菅野(智之)さんとお立ち台の上でした。どの選手に聞いても、開幕戦は独特の緊張感があると言っていた。足がフワフワと浮いているというか……」

 阪神戦で「8番・中堅」で初の開幕スタメンとなり、5回に能見から勝ち越しの2点二塁打を放った。この年は103試合に出場し、リーグ優勝にも貢献した。翌2015年には3番起用もあった。しかし、1軍定着とまでは行かなかった。出場数は減り、再び1、2軍を行き来する日々となっていった。

「今となって思うのは、僕のような打者が三振が多くてはいけないんです。終わってみると三振(通算232個)は、ヒットの数(通算230本)より多かったんです」

 巧みな打撃センスを持ってしても、スイングしてもなぜか当たらないこともあった。真剣に悩んだ。チームは陽岱鋼外野手や石川慎吾外野手ら新たなメンバーが加わり、2017年は怪我もあり、1軍出場はなし。2018年オフに自身が育った東北の地に再び、トレードで戻ることになった。

「悔しさというより、僕としては怪我明けなのに楽天が取ってくれたという感謝の思いが強かったです。心機一転、頑張ろうと思いました。ですが、怪我を気にして、思い切ったプレーも、強い気持ちでいることができなかったと今は思います」

 実力を発揮できず、楽天でのプレーは1年で終わってしまった。しかし、得られたことも大きかった。年下の選手が多く、経験を伝えること、アドバイスを送ることが増えた。その魅力も少しだけ感じていた。茂木栄五郎内野手ら、助言した選手が試合で活躍するとうれしかった。現在、アカデミーコーチになったように、指導者意識の芽生えでもあった。

 流れた時間と共に見える景色も移り変わり、いろんなことをプロ野球で学んだ。橋本さんは今年4月で30歳。2児の父になり、第2の野球道を歩んでいる。言葉遣いも丁寧で、一つ一つに相手を思う気持ちが伝わってくる言動が取材前も後も、とても印象的だった。

「これまで社会に出ていなかったので(礼儀作法などに)不安はありますよ。今の仕事はお客様に商品を提供する立場。自分の指導を保護者やお子さんに届ける時、相手がどう感じるかをいつも考えています。そういう気持ちが自然と(言動に)表れているならば、いいんですけどね(笑)」

 グラウンドに行けば、子供たちが橋本さんの指導を待っている。感覚、技術を言葉にすることは簡単なことではない。喜びも苦しみも教わった野球をもう一度見つめ直し、新たな魅力を届けていく。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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