巨人岩隈が引退会見 「僕の全力の一球だった」きっかけは今夏のシート打撃での脱臼

引退会見で巨人・原監督から花束を贈られた岩隈久志【写真:編集部】
引退会見で巨人・原監督から花束を贈られた岩隈久志【写真:編集部】

2009年WBCを回顧、原監督は「私の中では投手のMVP」

 巨人・岩隈久志投手が23日、東京ドーム内で引退会見を行った。近鉄、楽天、マリナーズ、巨人で日米通算170勝を挙げた右腕は「最後まで1軍のマウンドに立つことを考えていました。21年間、感謝しかありません。ファンとの絆を感じ、戦い、成長させてもらった。家族にも感謝しかありません。すべてが原動力になりました」と語った。

 2017年に右肩を手術したこともあり、慎重に調整は進められた。昨年8月24日のイースタン・日本ハム戦(東京ドーム)で移籍後“初登板”。その後、右鼠径(そけい)ヘルニアの手術を受けていた。再起をかけたシーズンだったが、1軍のマウンドに立つことができなかった。

 会見には原辰徳監督が冒頭、出席。2009年のWBCを共に戦った指揮官から花束が贈られた。岩隈は「世界一の監督にしてもらったことは忘れません。感謝しております」と労いの言葉をかけられた。その席で原監督から一つのエピソードが明かされた。

 引退を決めるきっかけとなったのは、今夏、東京ドームでのシート打撃だった。今季中に戦力として考えていた指揮官はスタンドでその様子を見ていたという。1球目が打者の右肩に当たってしまった。岩隈はその場に膝をつき、肩の激痛に耐えていた。右肩の脱臼だった。

 岩隈は当時のことを振り返り、「2軍では兆しが見えていた。状態のいい日、悪い日が繰り返され、僕自身も勝負をかけないといけないと思っていた。その(シート打撃の)一球が僕のできる全力の一球。その一球で体力的な限界という意味でも引退を考えました。無茶苦茶、痛かったです」

 近鉄時代の2004年には開幕から12連勝を含む、15勝、2008年の楽天時代に21勝を挙げ、最多勝を獲得。08年は沢村賞、防御率1.87で最優秀防御率などにも輝いた右腕。2012年にマリナーズ移籍後は13年に14勝、14年に15勝、16年には16勝と6年間で63勝。2015年6月12日のオリオールズ戦では野茂英雄氏以来、日本人2人目のノーヒットノーランも記録した。この功績が色あせることはない。

 引退の報告をしたのは10月を過ぎてから。原監督やイチロー氏やカブスのダルビッシュ投手、ヤンキース・田中将大投手らに伝えたという。

 1999年に近鉄からドラフト5位で指名され、04年の近鉄、オリックスの球団合併に伴い、金銭トレードで楽天に移籍。新球団創成期のエースとして、05年のロッテとの開幕戦では球団初勝利を飾った。2018年オフに8年ぶりに日本球界復帰が決まり、巨人で2年間過ごした。会見では近鉄のチームメート、楽天、東北のファンへの感謝も口にした。

 今後については「今の時点では決まっていない。感謝の思いでいっぱい。ひとまずゆっくりしたいなと。いずれは野球の伝道師になれる存在でもありたいなと思います」と話すに留めた。岩隈は終始「感謝」という言葉を会見で用いていた。周囲に支えられた21年間だった。

(Full-Count編集部)

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