日本シリーズ敗戦が悔しいなら「自分が変われ」 名将・野村克也が残した言葉
ソフトバンクとの日本シリーズで2連続4連敗に前鷹コーチ・飯田哲也氏が解説
■ソフトバンク 4-1 巨人(日本シリーズ・25日・PayPayドーム)
ソフトバンクが25日にPayPayドームで行われた「SMBC日本シリーズ2020」第4戦で4-1で巨人に勝利し、史上初の2年連続スイープで4年連続日本一を成し遂げた。巨人はシリーズ“8連敗”と不名誉な記録が残ってしまった。ヤクルトで5度のリーグ優勝、4度の日本一を経験し、昨年までソフトバンクのコーチを務めた飯田哲也氏に、巨人がシリーズで何を得たのか、活かすべきことを聞いた。
――ソフトバンクの強さが目立ったシリーズでした。
「コーチ目線で見ると走塁が違う。集中力が違う。打者の一発で仕留める能力も違う……巨人との差は感じました。巨人の選手はホークスの野球から感じることがあったと思います。『強い』の一言で片づけられないレベル。昨年も負けて、悔しい思いをして挑んだ今年。こういう結果になって、野球の違いを感じたはずです。何を感じて、何が違うのか……来年にどう活かしていくか、というところですね」
――シーズンは原監督の采配で勝ってきた試合もありました
「打てないと勝てないですから。打者は四球を取りに行くとか、しっかりとバントを決めるとか……でも、なかなか走者が出なかったし、チャンスを作っても一本が出なかったです。シーズンのような采配で勝つというのが難しったのではないでしょうか。手の打ちようがないというか、それだけホークスの投手がよかったというのもあります」
――巨人の選手たちは短期決戦でシーズンのようなプレーが出来ませんでした
「負けたら終わり、という気持ちで思い切っていければよかったですね。この悔しさは覚えていってほしいですね。巨人の誰もが『ホークスは強い』と思ったはず。でも強いな、で終わってはいけません」
――飯田さんはヤクルトでリーグ優勝5回、日本一4回を経験しています。最初のリーグVの92年は西武に敗れたことはその後にどのように影響しましたか?
「92年に王者・西武とやることになって、4勝0敗だけは嫌だなと思っていました。強いと思いますが、初戦で勝って、チームの中は『よし!一個、勝った』という気持ちになりました。この2年、巨人は8試合でその『よし!』というのがない。僕らは1勝できたことが大きかった。その年は3勝4敗で日本一になれませんでしたが、自信がつきました。その後のリーグ優勝した年は全て日本一になれましたからね。だから、『ホークスがすごい強い!』で終わってはいけません。8連敗で収穫はあるのか、と問われるならば、日本シリーズでこういう経験できたこと、ですかね」
――当時のヤクルトの野村克也監督は「弱者の兵法」で王者・西武を破った印象がありましたが、どのような戦い方で指揮官はどんな言葉で選手を鼓舞していましたか?
「日本シリーズでは『今季最後の試合だと思って、先のことを考えず、あと1試合というつもりでやれ』と言っていました。ただ『絶対に勝たないといけないんだ』みたいなことは言わなかったですね。選手たちにあまり考えさせないようにしてくれていました。勝たなきゃとかという思いは一切、無くす。目の前のプレーに全力を尽くせ、ということだったと思います」
――巨人は3連敗してしまったことで、選手たちが気負った部分があったかもしれません。
「野村さんは明るくというか、楽しめというような感じで、気持ちとしてもリラックスというか、開き直ってできましたね」
――実際、強かった西武への“兵法”とは?
「結局のところ、実は“バッテリー”にかかる部分は大きかったですね。野村さんは『点を取られなければ、負けない』とよく言っていました。シリーズ中は特にバッテリーのミーティングを細かくやっていました」
――野手には?
「ミーティングで『お前はこの球狙え』という指示がありました。『このカウントではそこを狙いなさい』などと言ったものも。データに基づいた野球をやっていましたね。相手捕手の伊東勤さんの配球の傾向が出ていたので、僕らは、対伊東さんという戦い方をしていました。癖も見つけて、傾向などそれを信じて違うのが来てしまったら、仕方ないと割り切れていました」
――巨人も来季はリーグ王者だが、弱者の兵法で戦うべきでしょうか?
「そうは言わなくても、2年連続で4連敗なので、その悔しさを持って、シーズンに入る前から打倒ホークス、セは勝って当然という思いでいなくてはいけませんし、今回の経験をを無駄にしてはいけません。MVPの栗原にしても初出場であれだけできるんですから、巨人の選手だってできるはずです」
――自信を失ってはいけませんね。
「野村監督が92年に西武に負けた後、『ダメなら自分が変われ』と言っていたのをよく覚えています。なので、日本一になった93年、みんな何かしらの意識が変わっていました。僕は92年、あの西武に対等に戦えたという思いがあったので、それまでは『結果が出なかったから変えられてしまうかもしれない』という弱気なところから『俺でもできるんだ』というマインドに変えました。そうすると、あまりプレッシャーを感じなくなったので、変わったことでその後の栄光があったのかと思います」
(Full-Count編集部)