現役No.1ユーティリティは? “稀代の万能型”森野氏が「杉谷ではない」と語る理由
プロ21年間で投手と捕手以外のポジションを守った元中日の森野将彦氏
レギュラーとして投手と捕手以外の全ポジションを守り、中日で21年間プレーした森野将彦氏。故・星野仙一氏や落合博満氏ら名将に重宝された使い勝手の良さで、競争激しい世界でのし上がっていった。10月に出版した自身初の著書「使いこなされる力。名将たちが頼りにした、“使い勝手”の真髄とは。」(講談社)でも、その極意を語っている。そんな稀代の“万能型”だった森野氏が語る「ユーティリティ」とは――。
森野氏は、強打の内野手として1996年のドラフト2位で東海大相模高から入団。1年目の97年に13試合出場してから徐々に出場試合数を伸ばし、2006年には「ミスタードラゴンズ」の立浪和義氏から三塁の定位置を奪取した。04年からの8年間で4度のリーグ優勝を飾った落合監督時代の黄金期に中心選手として活躍。17年限りで引退するまでプロ通算21年で通算1801試合に出場。1581安打、165本塁打、782打点をマークした。
打撃では中軸を担うことが多かったが、守備位置はシーズンごと、試合ごとによって様変わりした。最多は三塁の842試合だが、ベテランになるにつれて多くなった一塁は530試合。二塁も210試合で、若手時代が多かった遊撃は81試合を数えた。さらに04年から5年間は外野も守っており、253試合に上った。10年には三塁でベストナインに選ばれ、14年には一塁でゴールデングラブ賞を受賞するなど、その“変わり身”こそ、時の指揮官が頼りにした力だった。
「でも、最初から使い勝手のいい選手になろうと思っている選手は誰もいないよ。みんなそれなりに『こういうプロ人生を歩んでいこう』っていう青写真はあるはずだから」
そう笑って、森野氏は振り返る。様々なポジションをこなしたのは、毎年入れ替わりの激しい世界で常に主力として生き続けるための術でもあった。様々な可能性に挑戦するのも、プロとしての生き方のひとつ。「あとはやる気があるか、ないか。そのポジションにちゃんと向き合ってやらないといけない」とユーティリティの源流を語る。