「手首から先に感覚がなかった」 突然のイップスで一変した元燕ドラ1右腕のプロ生活

元ヤクルト投手の増渕竜義氏【写真:宮脇広久】
元ヤクルト投手の増渕竜義氏【写真:宮脇広久】

高卒1年目の07年から1軍で活躍も12年に右肘痛、イップスに悩まされた

 元ヤクルト投手の増渕竜義氏。埼玉・鷲宮高時代からサイドスロー気味の剛速球右腕として知られ、2006年高校生ドラフト1巡目で2球団競合の末にヤクルトに入団した。現在メジャーで活躍する田中将大投手や前田健太投手、ソフトバンクの柳田悠岐外野手、巨人の坂本勇人内野手らと同じ「1988年世代」。1年目から1軍でプレーしたものの、突然発症した「イップス」に悩まされて引退。2014年からは埼玉・上尾市で野球塾の塾長として活動している。現在100人の教え子を抱える増渕氏に、波乱万丈の半生を振り返ってもらった。

 増渕氏はプロ1年目、18歳にして1軍キャンプに参加。オープン戦で自己最速の153キロをマークし、いきなり開幕1軍ローテ入りを果たした。最初は先発した3試合で結果が出ずに2軍落ちしたが、この年のシーズン終盤には再び1軍昇格すると、10月4日に本拠地・神宮球場で行われた横浜(現DeNA)戦で、7回6安打無失点の快投を演じプロ初勝利。まずは順風満帆の船出といえた。

 4年目の2010年には中継ぎとして自己最多の57試合に登板し、防御率2.69の好成績を残した。威力満点の剛速球が、相手打者のバットを押し込んでいた。2012年にも49試合に登板したが、この年の10月7日、神宮球場での広島戦に落とし穴が待っていた。無死一塁で相手の送りバントを捕球し、二塁へ送球した瞬間、右肘に痛みが走った。

「しばらく肘を気にしながら投げているうちに、それまで自分がどう投げていたのか、わからなくなってしまったのです。痛みが消えた後も、以前の感覚は戻ってきませんでした」。精神面に原因があるとされるものの、いまだに明確な治療法が確立されていない“イップス”だ。

「投げる瞬間、手首から先に感覚がないのです。ボールを持っている感覚さえない。僕はもともと指先の感覚で投げるタイプでしたが、それが失われてしまった。手ではなく、腕全体で投げる感覚でやっていくしかありませんでした」。もどかしく、つらい日々の中でもがき続けた。

 翌2013年の1軍登板はわずか5試合。2014年の公式戦開幕直後、日本ハムへトレードされた。「『環境を変え、気持ちが変われば、持ち味が復活するかもしれない』という当時の小川淳司監督(現GM)の親心でしたが、僕は悔しさ、寂しさ、ドラフト1位で取っていただいたのに活躍できなかった申し訳なさでいっぱいでした」と振り返る。

14年開幕直後に日本ハムへトレード移籍「悔しさ、寂しさ、申し訳なさでいっぱいでした」

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