高木守道氏の逝去から1年「まだ受け入れられていない」 盟友・山田久志氏との絆

高木守道氏のお別れ会に参列した山田久志氏【写真:荒川祐史】
高木守道氏のお別れ会に参列した山田久志氏【写真:荒川祐史】

中日監督を経験し、同じタイミングで野球殿堂入りを果たした高木氏と山田氏

 昨年1月に亡くなった中日OBで元監督の高木守道氏のお別れ会が26日、名古屋市内で開かれた。招待された関係者ら225人が参列。同じ監督経験者でもあり、親交の深かった山田久志氏は、逝去から1年余りがたった今でも「まだ自分の中で受け入れられていない。これがひとつの区切りになるのかもしれません」と噛み締めた。

 高木氏は県立岐阜商から1960年に地元の中日に入団。絵に描いたような三拍子揃った選手で、特に守備では遊撃への「バックトス」は名人芸の域に。走っては3度の盗塁王。さらに1978年には球団史上初の2000安打を達成した。実働21年で通算2282試合に出場。打率.272、2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁を誇り、今でも「史上最高の二塁手」と呼ばれることも多い。

 7歳下の山田氏は1968年のドラフト1位で阪急に入団。3年目の1971年に22勝、翌71年には20勝を挙げるなどエースとして70年代の黄金期を牽引した。プロ20年で通算654試合に登板。284勝166敗43セーブ、防御率3.18の成績を残し、「史上最高のサブマリン投手」と称されることも。引退後はオリックスと中日でコーチを務め、2002年からは中日で2年間監督を務めた。

 2006年に同じタイミングで野球殿堂入りを果たした2人。「一緒に解説者もやったし、ゴルフもよく行った。守道さんとは数多くの思い出があります」と山田氏は記憶を呼び起こす。名球会の集まりでは、高木氏が守備について30分も熱弁したことがあった。

憧れにも似た存在「守道さんの守備を見るのが楽しみのひとつでしたね」

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