“ノーマーク”の高校生が2000安打 日ハム・田中幸雄を発掘したのは運転手?

日本ハムで活躍した田中幸雄氏【写真:荒川祐史】
日本ハムで活躍した田中幸雄氏【写真:荒川祐史】

元日本ハムの田中幸雄氏は桑田・清原世代、高校から日本ハム入り

 毎年100人以上のルーキーがプロ野球の世界に足を踏み入れる。どこの球団に入るかはドラフト次第だが、日本ハムの生え抜き選手として初めて2000安打を達成した田中幸雄氏には、球団との浅からぬ“縁”があった。

 都城高(宮崎)から1985年のドラフト3位で日本ハムに入団した田中氏。高校3年の時、当時球団の常務を務めていた大沢啓二元監督が学校のグラウンドに視察にやって来たという。「入団してから知りましたが、大社オーナーが『見に行って来い』と大沢常務にお話しされたということです」と明かす。

 日本ハム創業者で日本ハムファイターズの初代オーナーである大社義規氏が、直々に視察指令を出すとはただ事ではない。それも担当スカウトではなく、1981年にチームをリーグ優勝に導いた後にフロント入りしていた大沢氏をわざわざ宮崎に送り込むとは、一体どのような背景があったのだろうか。

「(大社)オーナーの運転手をしていた永岡さんという方が、オーナーに僕を推薦してくれたと聞いています。永岡さんは野球が大好きで、自宅が都城高校のすぐ近くにあって、よく練習や試合を見に来られていたんです。『いい選手がいるからぜひ獲ってください』と仰ってくださったようです」と田中氏は続けた。

 当時、大社氏は鹿児島に本社がある食肉製造販売会社「ナンチク」の社長を務め、毎月鹿児島を訪れていた。その際、野球が大好きで地元の高校野球にも詳しい専属運転手と野球談義を交わすことを楽しみにしていたという。信頼を寄せている人物からの熱烈な“推し”に、何か感じるものがあったに違いない。

 田中氏の方も後に不思議な巡り合わせを実感することになる。「当時、うちの実家が養豚をやっていて、ナンチクに豚を卸しに行っていたんです。高校生の時は、どこの球団でもいいのでとにかくプロに行きたいということしか思っていませんでしたが、後から経過を辿ってみると、日本ハムとは縁があったんでしょうね」とうなずく。

 全くノーマークで練習を視察した大沢氏が田中氏の強肩に惚れ込み、3位での指名が実現。大沢氏は後に田中氏の結婚式の仲人を務めることにもなったのだから、運命的な出会いだったと言えるだろう。

今でも田中氏は大社氏の優しい眼差しを思い出す

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