甲子園で賛否を巻き起こした超スローカーブ 小さな右腕の今と明かされる真実
東海大四高・西嶋亮太氏は2014年夏の甲子園で計測不能のスローカーブを披露した
2014年夏、東海大四高の西嶋亮太投手が投じた超スローカーブはテレビ中継の画面から消えた。計測不能のボールは2秒ほどの間を置いて捕手のミットへ。甲子園をどよめかせた小柄な右腕は今、スーツに身を包み、営業マンとして北海道と東北各地を飛び回っている。西嶋さんがあの夏を振り返り、現在地と未来を語った。前後編でお届けする。【石川加奈子】
18年シーズン終了後にJR北海道硬式野球クラブから戦力外を告げられた。当時22歳。わずか4年間の社会人野球生活だったが、現役に未練はなかった。「営業をやってみたかったんです。自分の人生経験にしたいと思って」と19年春にJR北海道を退社した。
現在は札幌に本社を置くインターネット関連機器販売会社で法人相手に飛び込み営業をしている。門前払いを食らうことがあっても心が折れることはない。「営業に行くと、いろんな人がいて、学べるんですよ。こういう人になりたいなとか、こうはなりたくないなとか」。冷静に観察して相手の懐に飛び込む術は、マウンドからバッターを牛耳る作業と似ているのかもしれない。
あの夏に投げた人を食ったかのような超スローカーブは、自分を鼓舞する手段であり、駆け引きの手段であり、試合を動かす手段だった。
「絶対ボールになってしまうので、余裕がないとできないじゃないですか。『1球ぐらいいいですよ、ほかの球で打ち取るんで』みたいな感じの余裕。これが相手に伝わっていたかわからないですけど、ピッチャーって自己満足だと思うので。そういう小さなことから自分のテンションを上げて試合に臨めたらいいと思っていました」
同時に、自分が有利な立場に立つための戦略でもあった。だから、次の1球には細心の注意を払った。「甘く入って打たれたら恥ずかしいので、すごく集中しました。次の球が決まれば『コントロールがいいな』となるでしょう。そう思ってくれると、戦い方も違ってきます。初球で振ってきたり、逆に追い込まれてから狙ってきたりとわかりやすくなります」と何手も先の駆け引きまで計算していた。投げる相手は3番打者か4番打者で、投げる場面はこう着した試合を動かしたい時だった。