ベーブ・ルースは「誰かが追いかけてくるのを好んでいた」 実現した大谷翔平の“継承”

“元祖二刀流”のベーブ・ルース【写真:Getty Images】
“元祖二刀流”のベーブ・ルース【写真:Getty Images】

ハーン館長「記録は破られるためにはあると感じていた」

 エンゼルスの大谷翔平投手は27日(日本時間28日)、敵地でのアスレチックス戦に先発する。今季2勝目を目指し、5度目の投打同時出場も期待される。25日(同26日)には自己最速となる打球速度117マイル(約188.3キロ)の15号3ランを放ち、止まらない二刀流の躍動。マウンドと打席に立つたびに、歴史を作り続けている。

 打っては本塁打王争いを演じ、投手としても6試合30回1/3を投げて45奪三振、防御率2.37と躍動する大谷について、“元祖二刀流”ベーブ・ルース博物館の館長は、ルースの娘がかつて話したことを述懐。大谷がエンゼルスに入団した2018年当時、娘は「父は嬉しく思っているでしょう」などと語ったという。

 地元紙「LAタイムズ」は「二刀流の驚異ショウヘイ・オオタニはさらに大きな何かに向かってスーパースターの地位を飛び越えた」として詳報。レッドソックス時代の1915年から1919年にかけて投打の二刀流として活躍し、1920年にヤンキース移籍後は徐々に打者に専念し、投手として94勝&打者として通算714本塁打を記録したベーブ・ルースについて触れた。

 記事によると、ルースは大谷とは異なり最初から二刀流だったわけではなく、レッドソックスでの最初の4年間(1914~1917年)は主に投手で、他のポジションでプレーするようになったのは1918年からだった。1918年に11本塁打で初の本塁打王に輝き、投手としては19登板で防御率2.22を記録。1919年の前半までは二刀流を続け、同年7月以降の登板は3度だった。1920年にヤンキース移籍後は完全に外野手に転向。以降の先発登板は4度だった。

 米メリーランド州ボルティモアにあるベーブ・ルース博物館の館長ショーン・ハーン氏は「彼は野手に転向したがっていました。(ルースの)娘さんによると、晩年にはピッチングに関する記録を最も誇りに思っていたとのことです。彼はヤンキースでも時々投げていましたが、頻繁ではありませんでした」と振り返り、大谷がエンゼルスに入団した2018年当時について言及。

「オオタニがこの国のメジャーにやって来た時、ベーブ・ルースの娘さんは『父は嬉しく思っているでしょう』と話していました。彼は誰かが追いかけてくることを好んでいました。記録は破られるためにあると感じていたようです」とも語っている。

 ここまでメジャー通算62本塁打&5勝の大谷。ルースの記録をどこまで追うことができるだろうか。

(Full-Count編集部)

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