鮮烈だった「UFO投法」の新人王… 14勝を挙げた元広島右腕が“損した”1勝とは?
シーズン中に配置転換も経験「今の選手は恵まれていると思う」
「自分の2試合目の登板が終わった頃、チームとして10試合ぐらいを消化した時点で、当時はシーズン130試合だったので、これをあと13回繰り返さないといけないのか、と思いました。学生時代にはそんなに長い期間、野球をやったことがなかったし、その時点でもう少し疲れもあったので、これは大変だなと思った記憶があります。ただ、その時にそう思っただけで、そこから5月に入ってからは中継ぎもやって、また先発に戻って、オールスターまで突っ走った、という感じです」
シーズン中の配置転換となると、現在では一大事と言えるが、当時は佐々岡と大野の入れ替えのように、さほど特別なことではなかった。山内氏の1年目の成績を見ると、34試合登板のうち、先発は21試合で5完投(1完封)、トータルの投球回数は163回1/3となっている。
「当時は先発したらいけるところまで、点を取られるまで投げていて、球数も150ぐらいは平気で投げていた。リリーフでも2イニング投げた翌日に、また次の日に2イニング、さらにその翌日に1イニング投げても、なんとも思わなかった。リリーフから先発に変わる時も、次から先発でいくぞと言われるぐらい。1年目だったということもあるけど、当時はそれに対して不満もないし、不思議とも思わない。そういう時代でしたね」
オールスターの時には「自分でも疲れを感じていたし、球自体も思うようなボールが投げられなくなっていた。肩やひじは全く問題なかったが、とにかく投げていてシーズン当初とは全く違うと感じていた」と当時を振り返った山内氏。9月以降は5試合連続で敗戦投手となるなど、目標としていた15勝にはあと1勝届かなかったが、同じ年に彗星のように現れたドミニカ右腕との間に、こんなエピソードもあったと言う。
「この年は(ロビンソン・)チェコが15勝したのですが、実は彼に自分の1勝をあげているんですよ。オールスター前に、自分が先発してリードした状態で3回か4回まで投げた試合があったのですが、チェコの勝ち数を増やしてオールスターに選ばれるように、勝利投手の権利を譲る形で交代したんです。それで終わってみれば、チェコが15勝で、自分が14勝ということになってしまった。あの1勝があれば、と今でも思いますね(笑)」
まばゆいルーキーイヤーから26年。野球は変わり、投手の分業制が確立された。入団直後は先発ローテ候補の声もあった栗林も、世が世なら先発、リリーフを問わない起用で役割を果たしていた可能性もある。「そういう意味では、今の選手は恵まれていると思う」という山内氏だが、8年という決して長くない現役生活で、球史に強烈なインパクトを残したことは間違いない。
(大久保泰伸 / Yasunobu Okubo)