“美文字”で話題の西武マネの公式打順表 一番「書きやすい」意外な選手名は?

リモート対談を行った女優の関水渚さん【写真:荒川祐史】
リモート対談を行った女優の関水渚さん【写真:荒川祐史】

西武・眞山龍さんと高校時代野球部マネの人気女優・関水渚さんと“マネジャー”対談

 1年間、球団を運営していくためには選手だけではなく、裏方スタッフの存在も必要不可欠だ。Full-Countではチームの“心臓”ともいえるマネジャーの仕事に着目。西武の1軍マネジャーを務める眞山龍さんと、高校時代、野球部のマネジャーの経験を持つ若手女優の関水渚さんによる“マネジャー対談”がリモートで実現。高校野球部とは一味も二味も違う、知られざる仕事が明らかになった。

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関水「現役引退後、マネジャーになるまでの経緯を教えていただけますか?」

眞山「4年ほど2軍の用具担当をしてから、1軍のサブマネジャーになりました。その後、2軍のマネジャーを経て、今は1軍です。根本的に用具担当とマネジャーの仕事は全く別のものです。マネジャーは直接監督の意見を聞き、チームにスケジュールを共有したりします。なので、チームが動く一歩目が私の仕事だと思います」

関水「仙台育英高校ご出身の眞山さんが高校生の時、野球部のマネジャーはどんな存在でしたか?」

眞山「女性マネジャーはいなかったですね。基本的に募集するのではなく、ある時期が来たら、選手の中から選ぶことになります。途中で選手からマネジャーになるということは、野球をやるために高校に入ったにも関わらず、野球が全くできなくなることを意味します。なので、決める作業が大変でした。みんな、選手として野球をやりたいですからね」

関水 「女子生徒がマネジャーになるイメージがありますが、そうではなく、選手がなるんですね……」

眞山 「僕の同級生で周りの推薦もあってマネジャーに決まった子は、泣きながら『マネジャーになります』と話をしていました。僕たちはその姿を見て『このマネジャーを絶対に甲子園に連れて行く』とより強い気持ちで野球に取り組んでいました。仕事の内容は、僕たちがグラウンドに出ている間に遠征の準備をしたり、当時の監督といろいろな話をしながら野球部のスケジュールを決めたりしていたんだと思います。当時の仕事ぶりというのは、グラウンドから見ていても素晴らしくて、感謝の気持ちで接していました」

関水「私は同級生の男の子に誘われたことがきっかけで野球に興味を持って、その勢いでマネジャーを始めたので、今のお話を聞いてびっくりしました。部員の中から決めるというのはなかなか難しいですよね。皆さん、野球がやりたくて入られてきていますし、話し合いで決着がつくものではないと思います。その決断をされてやり切った方は、本当に責任感が強い方だったんですね」

眞山「当時、高校生ながらに『すごい』と思ったのは、部にいらっしゃるお客さまへの対応ですね。高校生だと、大人の方とちゃんとした受け答えをするのは難しいと思うのですが、あいさつや来客への接し方を見ていて、そのすごさを感じていました」

マネジャーの仕事の1つである「公式打順表」の記入に挑戦!

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