“セクシーすぎる声”で話題「球団の電話が鳴りやまず」 伝説のウグイス嬢の今

愛知から四国に通い“無給”でウグイス嬢修行…苦難の先に叶えた夢

 2008年から5年間オリックスでアナウンスを担当した藤生さんだが、それまでの道のりは平たんではなかった。子どもの頃から大好きだった野球に携わる仕事を希望し、大学卒業後にスポーツ新聞社に入った。仕事自体に不満はなかったが、内勤だったため「直接、野球の現場に行きたい」との気持ちが強くなっていったという。そして24歳の時、プロ野球のウグイス嬢への夢を抱くようになった。

 ただ、藤生さんにアナウンス経験はない。キャリアを積み重ねるために、あらゆる野球団体やチームに連絡し「ボランティアで球場アナウンスをやらせてほしい」とお願いした。愛知のラジオ局でパーソナリティをしながら球場で実戦経験を積み、25歳になった2005年に独立リーグ・四国アイランドリーグでウグイス嬢を務めることになった。交通費を自己負担し、ボランティアの立場で愛知から香川や高知まで通った。高知ファイティングドッグスの球団職員になる縁があり、夢が現実になる“音”が聞こえてきた。

「オリックスがキャンプで高知に来ていて、練習試合をしました。その時に後の上司になる方が私のアナウンスを隣で見ていて『NPBでアナウンスをやる気持ちはある?』と。それがやりたくて修行を積んでいますと答えて、プロ野球でアナウンスする夢が叶いました」

 オリックスのウグイス嬢をしながら2008年にアナウンススクールを開いていた藤生さんは、2012年に球団を離れた。2013年に法人化し、スクールに専念。「アナウンスを学ぶ場はあっても、野球のアナウンスに特化した場所はありませんでした。私はボランティアで経験を積みながら希望の仕事につけましたが、しっかりと学ぶ場が必要だと思いました」。夢がかなったと同時に、課題を見つけていた。

 一言に野球のアナウンスといっても、少年世代からプロまでカテゴリーによって声の出し方や伝え方が違うという。興行であるプロ野球ではホームチームを盛り上げ、学生野球は両チーム同じように選手の名前をコールする。甲子園は独特のリズムとアクセントがあり、聞いている人が違和感を抱かないようにコンマ1秒の間合いまで“完コピ”している。

話し方を通じた人材育成「メディアトレーニング講習」も開講

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