プロ初公式戦で顔面死球の壮絶デビュー 元鷹ドラ1と当てた投手の間に生まれた縁
「あれもいいデッドボールだったな、と」とポジティブに捉える江川氏
特注のフェイスガードをして、わずか3週間ほどで実戦復帰を果たしたのだが、その後もしばらく影響は残っていた。「恐怖心はなかなか取れなかったですね。踏み込んでいけないんですよ。もう足を見たらわかるんです。足が思いっきり開いているんですよ。自分はこんなに開きたくないのに、意図して開いてるわけじゃないのに、勝手に開いてて。プロの投手が投げるスライダーとかカーブって、デッドボールのように来るのが、チャンスの球なんですけど、体が構えてしまって手が出ないんです」。恐怖心が和らぐまでに5年ほどかかったという。
「5年目くらいからはこんなことでビビっていたら、クビになると思って、そこで全てではないですけど、恐怖心は取れました」と振り返る江川氏だが、その時の後悔や遺恨めいたものは「一切何もない」という。1軍ではなかなか結果は出なかったが、現役としてプレーした15年を振り返り「野球なんでデッドボールはしょうがないですよね。あれがなかったらもっとできたかもしれないですけど、あれがあったからこそ15年できたかもしれない。本当のところは分からないですから。野球の結果は満足はしてないですが、出会えた人にすごく満足しているんです」と晴れやかだった。
山井氏とはその後、現役中に食事を共にする機会があった。「山井さんはすごく気を遣ってくださっていました。『僕の避け方が下手だったし、そんな風に背負わないでください』とお話しさせてもらいました」。それでも、その後も何かと気遣いを見せてくれていた山井氏。江川氏が故郷に戻り「まるとも荒木田商店」をオープンしたことを知ると、共通の知人を通して豚肉を購入してくれたという。
プロ野球人生を狂わせたかもしれない初の公式戦での顔面死球も、それが新たな縁を生んだ。「わざわざ豚肉を買ってくれましたし、あのデッドボールがあったおかげで、山井さんのような方ともこういうふうに出会うことができた。痛かったですけど、こういう接点を持てるというのもなかなかないことなので、もう本当にポジティブに捉えています。あれもいいデッドボールだったな、って思います」と語る江川氏は清々しい表情を浮かべていた。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)