「日本の練習が好きだった」 NPBで覚醒の赤鬼、引退後に得た指導者としての成功

ヤクルト・近鉄で活躍したチャーリー・マニエル氏【写真:Getty Images】
ヤクルト・近鉄で活躍したチャーリー・マニエル氏【写真:Getty Images】

「マイナーで監督になってからも、練習への取り組み方を継続した」

 ヤクルトと近鉄でプレーしたチャーリー・マニエル氏は、NPB通算189本塁打を記録するなど“赤鬼”の異名をとった偉大な助っ人だ。通算4本塁打だったメジャー時代とは対照的な打撃を披露し、帰国後には指導者に転身。数多くの名選手を輩出している。その指導法は、NPB時代に身をもって経験した練習が深く影響していたという。

 マリナーズなどで通算252本塁打を放ち、2001年には打点王にも輝いたブレット・ブーン氏のポッドキャスト番組に出演したマニエル氏。番組内では40年以上前の日本時代の思い出を回顧した。1990年代中盤に就任したインディアンス(現ガーディアンズ)での打撃コーチ時代に話題が及ぶと、選手たちと過ごした日々をこう振り返った。

「私が日本で学んだことの1つというか、とにかく日本時代の練習スタイルが好きだった。日本でプレーしていた時、最低でも自主練として打撃練習を1時間は行った。その後に通常の打撃練習をしていた。練習のおかげで私はいい選手になった。(1990年代前半にインディアンス傘下の)マイナーで監督になっても、その練習への取り組み方を継続した。当時、スプリングトレーニングの期間中は試合後でも打撃練習をさせた。選手たちはその方法を気に入っていた」

 マニエル氏は6年間助っ人として見ていた日本の野球に深い感銘を覚えたという。帰国後、スカウトを経験後に指導者になると、日本時代の練習法を参考にしたコーチングで手腕を発揮していった。教え子には通算打率.312、555本塁打のマニー・ラミレス氏らがおり、中でも象徴的な存在が通算612本塁打のジム・トーミ氏だ。

 2018年に殿堂入りした際のスピーチでトーミ氏は、マイナー時代から親身になって指導をしてくれたマニエル氏に「私なら何本でも本塁打を打てると言ってくれた。あなたなしに今の私は存在しない」と感謝。野球映画のキャラクターからヒントを得た打撃フォームを提案されると、そこからは「練習、練習、また練習の日々だった」と大打者への階段を登っていく日々を振り返っている。

 MLBでの12年間の監督生活で、マニエル氏は通算1000勝826敗、勝率.548を記録。2008年には世界一に輝き、“第2の人生”はまさに順風満帆だ。そして日本流の指導理論で育て上げた名選手たちの存在は、マニエル氏にとって大きな誇りとなっている。

(Full-Count編集部)

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