戦力外後に2球団から“オファー”も辞退 元オリ右腕が被災地にUターンしたワケ
所属2球団からの打診を断り故郷へ、今年2月に学生野球資格を回復
3年目の2018年夏、交換トレードでDeNAに移籍した。告げられた時は驚きとともに、寂しさが込み上げてきた。「好きだったんでね、オリックスが」。新天地での再起を誓ったが、初めて1軍登板がなかった。4年目はファームでの登板機会は多かったものの、1軍に呼ばれると結果を出せなかった。「2軍では冷静に抑えていても、1軍になると『打たれたらどうしよう』とか『点を取られてはいけない』って思っちゃうんですよね」。7試合登板で防御率5.59の成績が残った。
新型コロナウイルスの感染拡大がはじまった5年目の2020年は開幕が遅れ、コンディション調整に苦労した。「みんな、同じなんですけどね。僕はスタートダッシュができなかった」。1軍に上がることなく、静かにユニホームを脱いだ。「自分としては年齢も置かれている立場も十分に理解して5年目を迎えました。ファームでは一番多く試合に投げて抑えるんですけど、(1軍に)上がるのは僕ではない。若い選手が上がっていく。シーズン終了が近づくにつれて、『そろそろ、そういうことなのかな』と感じていました。それでも、言われた時はやっぱりショックでしたよ。ただ、後悔のないようにやっていたので、やり切った思いがありました」。
DeNAから戦力外を告げられると同時に球団職員のオファーを受けた。オリックスからも連絡が入り、打撃投手を打診された。そんな時、楢葉町長を始め、故郷でも気に掛けてくれる人がたくさんいることを知った。故郷に戻ったとしても仕事はどうしようか。熟考している頃、町では仕事に関する話が進んでいたようで、スポーツ協会に勤務する案が浮上した。「最後の最後まで悩みましたね。すごく悩みました。悩んで、これからのことを考えた時、地元に帰るのもいいのかな、と。楢葉町に戻ってプロ野球で経験してきたことを生かし、何か貢献したいなという思いで、それだけの思いで帰ってきました」。
原発事故の影響で約4年半、生活音が消えた故郷の楢葉町。現役生活への後悔はなかったが「町にもっと恩返しを」という思いと、ユニホームを着た2球団への恩義を胸に刻んで地元に戻った。東海大山形高に進学するため、中学卒業と同時に町を離れた赤間さんにとって、15年ぶりの故郷での生活も1年が過ぎた。仕事を覚えていく中で、「思い」だけではなく町に貢献する具体的な「何か」を模索し始めた。今年2月の学生野球回復資格研修を受けたのも、その1つ。町に高校はないが甲子園を目指して球場を利用する福島県内外の高校球児の姿が刺激になった。
「常に何かできることはないかなって考えているんですけどね」。答えはまだ見つかっていない。プロ入りするまで、プロの世界に足を踏み入れてからも、苦労や困難、失敗、挫折、葛藤を経験してきた。プロ5年で通算38試合登板、投げたイニングは56回。成功したとは言い難いかもしれないが、それを目指した日々で培ったバイタリティは一生もの。その精神は、きっと巡り合うであろう“貢献”の形に続いているはずだ。
(高橋昌江 / Masae Takahashi)