「興奮して夜眠れなかった」 鳥谷敬氏が現役18年間で最も記憶に残っている場面とは

母校の羽村第一中を訪問した元阪神、ロッテの鳥谷敬氏【写真:上野明洸】
母校の羽村第一中を訪問した元阪神、ロッテの鳥谷敬氏【写真:上野明洸】

2013年WBC台湾戦で9回2死から二盗「その選択をしないと負けると思った」

 阪神とロッテでプレーし、昨季限りで現役引退した鳥谷敬氏が16日、日本財団が企画する次世代応援企画「HEROs LAB」のイベントで、母校の東京・羽村第一中を訪問。全校生徒600人を前に、講演した。その中で18年の現役生活の中で最も記憶に残っていることを問われると、2013年WBC2次ラウンドの台湾戦を挙げた。

 9年前の3月8日の東京ドームでの台湾戦。侍ジャパンのメンバーとしてWBCに出場していた鳥谷氏は、1点ビハインドの9回1死から四球で出塁。その後2死となり、あとアウト1つで敗戦となるプレッシャーのかかった場面でスタートを切り、盗塁成功。その後、井端弘和(当時中日)の適時打で同点のホームを踏んだ。チームは延長の末に勝利し、サンフランシスコでの決勝トーナメント進出に王手をかけた。

「プロ野球の世界に入ってから、その日だけ興奮して夜眠れなかったという日だったので、よく覚えています」

 盗塁死していればゲームセットで、バッシングも受けかねなかった場面。「(失敗していたら)ちょっと大変なことになっていたと思います。危なかったですね」と振り返った。

 スタートを切った背景には、牽制が1回しか来ないことや、相手投手のクイックが遅かったことがあった。「1歩を踏み出すために、条件が整ったからスタートを切ったという感じです。絶対成功する確信があったというよりかは、その選択をしないと負けてしまうと思ったので、勝つために」と語った。

 まさに“日本を救った”名シーンだが、話を聞いているのは当時、幼稚園年中~小学1年生の生徒たち。表情を伺うなり「でも全然ピンときてなさそうですね?」と、反応の薄さには苦笑いしていた。

(上野明洸 / Akihiro Ueno)

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