大谷翔平が連日の“神頼み”… 花巻東の同期が回顧、二刀流が見せた選抜への思い

大阪桐蔭戦で本塁打を放った花巻東・大谷翔平【写真:共同通信社】
大阪桐蔭戦で本塁打を放った花巻東・大谷翔平【写真:共同通信社】

小原大樹さんは11年夏の甲子園で先発、大谷と切磋琢磨した

 第94回選抜高校野球大会がいよいよ開幕する。今年は花巻東高(岩手)の新2年生スラッガー、佐々木麟太郎内野手に注目が集まっているが、ちょうど10年前の2012年大会では同校の右腕・大谷翔平投手(エンゼルス)が大きな話題になった。2011年秋季東北大会で準決勝敗退した花巻東だが、光星学院高(現八戸学院光星)が明治神宮大会を制したことで東北地区にもたらされた「神宮枠」によって夢舞台の切符を得た。もう一度、翔平を甲子園に連れて行きたい――。その思いで秋季大会で“奮投”した小原大樹さんが当時を振り返った。

「野球人生で一番、無力さを感じた試合。あそこまでボコボコにされたことはありません」。小原さんは花巻東高を卒業後、慶大、日本製紙石巻でプレー。メジャーリーグのトライアウトに挑戦し、独立リーグのマウンドにも上がった。昨年5月からは岩手めんこいテレビに勤務。プロを目指して数えきれないほどの試合経験を積んできたが、高校時代の苦い思い出は残り続けている。

 生涯忘れようがない試合は高校2年、2011年秋の東北大会準決勝だ。花巻東は2回戦の日大山形戦で0-6の劣勢をひっくり返し、続く準々決勝は0-1から8、9回に得点。2試合連続のサヨナラ勝ちで4強に進出した。準決勝の相手は光星学院。田村龍弘(ロッテ)、北條史也(阪神)が2011年夏の甲子園で準優勝を経験しており、この東北大会は2試合連続コールドで勝ち上がっていた。東北地区の選抜出場枠は2。準決勝突破は“選抜当確”を意味するだけに、負けられない戦いだった。

 左腕の小原さんは大谷とともに1年秋から主戦投手として公式戦を経験してきた。2年夏は、最速151キロを記録していた大谷が肉離れ(後に左股関節の骨端線損傷と判明)で投げられず、小原さんがマウンドを守って岩手大会決勝で公式戦初完封。甲子園では初戦で帝京(東東京)に敗れたが、小原さんが先発を任され、大谷にバトンを託した。最上級生として臨んだ秋季岩手県大会でも決勝戦で零封するなど好調を持続していた。

 しかし、東北大会は違った。光星学院戦の1回表、小原さんは3番・田村に先制ソロを浴びた。花巻東はその裏、3番・大谷の適時二塁打で同点とし、満塁弾で突き放した。4回にも1点を追加。小原さんも丁寧に打者を打ち取っていた。ところが5回、マウンド上の小原さんの右足首を田村の痛烈な打球が直撃。安打に四死球も絡み、3失点。6回には田村の2ランで6-6の同点とされた。7回から右翼に回っていた小原さんは8-8の9回1死一、三塁で再登板するも勝ち越しの適時打を許し、万事休した。1点差で敗れて東北大会優勝=神宮大会出場という当面の目標が絶たれ、選抜出場の可能性も遠ざかり、目の前は真っ暗になった。

「もう一度、翔平を甲子園に連れて行きたいと思っていました。翔平と(佐々木)毅と僕の投手陣3人で、よく、“熱い話”をしていました。翔平が『俺は投げられないから、バットで頑張る。東北大会、なんとか頼む』って。僕らは翔平が甲子園で投げたいと思っているのは分かっていましたから。逆に選抜は、僕と毅がお願いする側。『選抜は頼むよ』って」

大谷は「長距離走が得意ではなかった。選抜に行きたかったんでしょう」

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