新庄剛志からのメールに「『は?』としか…」 専属広報が語る“引退宣言”の真実
引退宣言前夜、荒井さんが見た“予知夢”に新庄は「諦めろ」
そんな思いがあふれたのだろう。東京へ移動した荒井さんは夢を見た。新庄がホームランを打ってしまう夢を。とっさに「新庄さんにメールしようかと思ったんですけど、言ったら本当になってしまう気がして……」と思いとどまった。次の日、試合前に部屋に迎えに行った際、勇気を出して口にした。「実は昨日の夜、夢を見ました……」。新庄からの言葉は「諦めろ。今日打つから。ヒーローインタビューと引退会見、頼むぞ」だった。
試合前のティー打撃で、新庄にボールを上げるのも荒井さんの日課だった。「そうしたら、めちゃめちゃイイ感じなんです」。もう一度「諦めろ」と言われて試合に入り、2回の初打席。セラフィニのボールを捉えると、打球は左翼フェンスを超えた。
恐れていたことが、ついに現実になってしまった。新庄はダイヤモンドを1周して生還、そのままベンチに向かうところをこの日は一塁方向へ歩み出し、ヘルメットを取ってスタンドへ深々と一礼した。ファンも報道陣も「あれ?どうしたんだろう」と疑問を持った。ベンチに戻った新庄さんは荒井さんにアイコンタクトを送った。「行ってくれ、ってことだったんですけど……」。当時、報道陣には「打法名」が携帯メールへ発信されるシステム。荒井さんは送信ボタンを押せなかった。「すごいことが起きちゃうのが、分かっているわけですよ」。さすがに、自分の一存だけではできないと、高田繁GM(当時)らが試合を見ている部屋をノックした。
「こういうメールを出そうとしています」と告げると、高田GMからは「一旦待ってくれ」と指示があった。移転後、最大の功労者が現役を退くというのだ。球団側にもそれなりの準備が必要だった。上層部への報告等、全ての段階を踏んでメールが発信されたのは「40~50分たってからじゃないですかね」。紙に印刷した打法を放送リポーターに渡すと「どういうこと?」と驚きの反応が続き「そういうことです。もうこれ以降、打法が出ることはありません」としか返せなかった。携帯電話は鳴りっぱなし。叩き折ってやりたいという衝動に駆られたという。
新庄は試合後、ドーム内で急遽行われた引退会見で「開幕戦で球場が満員になったこと」を引退決断の理由に挙げた。ただ3年間を共に“戦ってきた”荒井さんは、決意に至る動機はほかにもあったのではないかという。「ハッキリ言われたわけではないんです。でも悠々捕れていた打球を、ジャンプしないと取れなくなったり、余裕で刺せていた走者を、ギリギリでしか刺せなくなったという話は日常的にしていました。レベルの高い選手ならではの感じ方があったと思う。僕らからすればまだまだできると思ったんですが……」。
そして、ドラマはこの日だけでは終わらなかった。この引退宣言は前年5位と低迷していたチームを動かす“引き金”だったのだ。夏場、驚異的な快進撃を見せた日本ハムは、そのまま44年ぶりの日本一まで駆け抜けることになる。
(羽鳥慶太 / Keita Hatori)