「鈴木一朗」が「イチロー」となった瞬間 仰木監督に進言、名付け親が明かす“舞台裏”
当時のパ・リーグは鈴木姓が多く「カタカナでいったらどうですか?」
キャンプ中に打撃フォームを修正することはなかったが、振り子打法の“弱点”は分かっていた。動きの大きいフォームに対し、相手投手が緩急で攻めてくることを予想していた新井氏は「右足の強化」をポイントに挙げ、鈴木と二人三脚で取り組んだ。「体勢を崩されても当てるだけで終わらないように右膝を踏ん張ることを重点に、毎日、訓練していましたね」と振り返る。
約1か月のキャンプを終え、オープン戦でも鈴木は結果を残していく。就任前から大きな期待を寄せていた仰木監督の中でも「余程のことがない限りレギュラーで使う。上手くいけば、10年は安泰。スーパースターになる可能性を秘めている」と確信に変わっていったという。
開幕直前の3月26日に行われた中日とのオープン戦では特大の満塁ホームランを放った。キャンプ中から走攻守で誰もが納得する成績を残す姿に、新井氏も「これで確定だなと思いました。怪我なくシーズンを過ごせば3割は打つかもしれない」と期待は膨らむばかりだった。
鈴木一朗は球界を代表するスターになる――。近鉄時代からパ・リーグの“広報部長”を自負していた仰木監督も、その雰囲気を感じ取っていた。だが、当時のパ・リーグは鈴木姓が多く「これじゃ目立たない」と感じていた新井氏は指揮官に1つの案を投げかけた。「コーチも選手も彼を呼ぶときは“一朗”だったので『“イチロー”でどうですか?』と。本拠地・グリーンスタジアム神戸のスタメン発表も名前を先に呼ぶスタイル。仰木監督も頷いていた」。