数字にも表れるパ・リーグの“異変” 過去にもあった極端な「投高打低」の傾向
2012年の角中勝也はリーグ史上2番目に低い打率で首位打者を獲得
次に、2011年と2012年の打率ランキングを確認しよう。
2011年と2012年の3割打者の数は、それぞれ5人ずつ(打率.2997の2012年の田中賢介氏を含む)。前後のシーズンではいずれも打率.300以上の選手が10人以上いたことを考えれば、やはり打者にとっては厳しい環境だったことがうかがえる。また、2012年の角中勝也外野手の打率は.312。1950年のパ・リーグ創設後では、1976年の吉岡悟氏(打率.309)に次いでリーグ史上2番目に打率の低い首位打者だった。
ただ、その角中は投高の時代が終わった後の2016年に打率.339という高打率を残して2度目の首位打者を獲得。これだけの数字を残せるだけの高い打撃技術を持つことを証明するとともに、2012年当時の環境が打者にとって厳しいものであったという事実も改めて示していると言える。ただし、直近3年間の3割打者の数を見てみると、2019年が6人、2020年と2021年はともに4人。3割打者の数だけを見れば、当時と現在でさほど変化がない数字となっているのも確かだ。
しかし、2011年と2012年の本塁打ランキングに目を向けてみると、投高打低の度合いがより鮮明に浮かび上がってくる。
2011年は中村剛也内野手が、48本塁打という他を圧倒する数字を記録。この数字はパ・リーグ全体で記録された454本塁打のうち、実に10.57%を占めるものだった。同年のリーグ内本塁打の1割以上を1人の選手が放った事実が、当時の環境の特異さを端的に表してもいる。
同年2位の松田宣浩内野手は25本、OPS.854と、当時の状況を考えれば非常に優秀な成績を残した。ただ、ランキング3位に入った2選手がいずれも20本未満という状況は、近年のプロ野球では滅多にないレベルの低い水準だった。中村は翌2012年にも本塁打王に輝いたが、故障の影響もあり、前年から21本も本塁打を減らした。この年は誰ひとりとして30本以上を記録できず。これは、小久保裕紀氏が28本で本塁打王を獲得した1995年以来、実に17年ぶりの事態だった。