“捕手の頭にバット直撃”を名捕手はどう見る? アクシデント回避に必要なこと
フォロースルーの大きな選手が打席に入ったら「なるべく後ろへ」
具体的には「対戦前にフォロースルーの大きい選手がいないかどうか、チェックしておくこと。該当する選手が打席に入った時はなるべく後ろへ下がり、神経を研ぎ澄ますことです」と力説。捕手側の“避ける意識”が大前提だと強調した。中尾氏自身も現役時代、1989年に阪神に在籍したセシル・フィルダー内野手ら外国人選手には特に注意を払ったという。
中尾氏の危機回避の原点は、兵庫・滝川高時代にさかのぼる。3年の春季県大会初戦で、初回先頭打者のバットが後頭部を直撃した。当時の捕手は帽子のつばを後ろへ回してマスクをかぶるスタイルが定番。バットは木製だった。出血した患部を脱脂綿で拭いただけで試合出場を続け、終了後に病院で2針縫った。それが当たり前なほど、荒っぽい時代でもあった。
専大進学後、その体験の影響から当初は打者からやや離れた後方で守っていた。当時の小林昭仁監督(故人)から指摘され、高校時代の話をすると、小林監督は日米大学野球で渡米した際につばのない捕手用のヘルメットを中尾氏のために持ち帰ってきた。小林監督自身も捕手出身だったのだ。
中尾氏は1年生の秋のリーグ戦から着用し、見慣れない姿から「一休さん」と呼ばれるように。希少な捕手用ヘルメットを、社会人のプリンスホテル時代にはエンジ色、プロ入り後の中日では紺と、それぞれのチームカラーに塗り直して使用を続けた。捕手用のヘルメットが一般に普及したのは、だいぶ後年のことだ。
「大学時代の小林監督には、本当に優しくしていただいた」と恩師に感謝する中尾氏。今は「危険を察知するのも捕手の技術です」と後進にリスクヘッジの大切さを説いた。
(Full-Count編集部)