清原、辻、伊東…大物揃いの西武で生き残るために “道”を切り開いた自己アピール術
高木浩之さんは94年ドラ4で西武入団、通算1002試合に出場した
西武で14年間プレーし、主に二塁手として通算1002試合に出場した高木浩之さんは今年、「ライオンズアカデミー」のコーチに就任した。享栄高、駒大を経て1994年ドラフト4位で西武に入団。2008年に引退後はアマチュアスカウトを経た後、主に2軍で打撃コーチを務め若手を育成してきた。“黄金時代”と謳われた当時の西武に入団した時の心境、コーチ時代に得たことなどを語った。
1986年から94年の9年間で8度のリーグV、6度の日本一を果たした“常勝軍団”の門を叩いた高木さん。二塁に現監督の辻発彦、一塁に清原和博、捕手に伊東勤と、そうそうたるメンバーを目の当たりにして「これは場違いじゃないか」と思ったという。先輩たちに自ら話しかけることもなく、フワフワしていて当時のことはあまり覚えていないと振り返る。成熟したチームを見て「ヤバイ所に入ってしまったな」と感じ、何か見せなければ生き残れないと危機感を抱いた。
「何でもいいから食らいつかなければと常に思っていました。現役は長くできるわけじゃない。このままでは、忘れられてすぐに終わってしまうと感じました。技術では太刀打ちできないし、短距離走もかなわない。まずは自分にできる長距離でトップになって、目立って認めてもらおうと思いました」
1年目から出場機会を経て、3年目の1997年には107試合出場。打率.278をマークしてリーグVに貢献し、やっと自分を見てもらえるようになったと感じた。その後もしぶとい打撃と堅実な守備で“いぶし銀”の二塁手として活躍。2002年にはベスナインとゴールデングラブ賞を受賞するなど、入団当初は「すぐに終わってしまう」と感じた現役生活を14年間続けた。2013年から2軍打撃コーチを務め、現在は主力として活躍する山川穂高内野手や外崎修汰内野手らの指導にも当たった。