「1人1人の胸に『俺の川崎球場』がある」 照明塔の撤去開始で“歴史の番人”が激白
大洋やロッテの本拠地だった歴史…2019年には王貞治氏も署名し文化財登録を請願
川崎球場は1954年から3年間だけパ・リーグに存在した高橋ユニオンズ(55年の名称はトンボユニオンズ)、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)が本拠地球場として使用した。1960年には、三原脩監督率いる大洋が球団創設以来の初優勝と日本一を達成。1988年10月19日、優勝がかかった近鉄がダブルヘッダーでロッテと死闘を繰り広げた伝説の“10.19”は今も語り草だ。
球場解体後も、照明塔は6基のうち3基が残存しフィールドを照らし続けた。2019年には、フェンスを含めた川崎球場の遺構を文化財登録しようとの気運が盛り上がり、王氏を含む379人の署名を添え、所有者の川崎市へ請願書が提出された経緯がある。しかし照明塔は老朽化などを理由に、7月に1基、来年1月には残り2基も取り壊されることが決定。代わりに最新のLED塔4基が設置される予定で、うち2基は既に完成した。田中支配人は「照明塔は川崎球場の歴史をずっと見守ってきた“生き証人”で、撤去は非常に残念です」と惜しむ。
「これまで様々なイベントを開いた中で気づいたのは、数多くの川崎市民、野球ファンの方々1人1人の胸の内に、30分でも1時間でも語り続けられるほど、『俺の川崎球場」や『私の川崎球場』があるということです」と田中支配人。実際、25日のイベントに参加した高安征夫さんは、旧川崎球場から徒歩約20分のところに住む80歳で、「照明塔が完成した頃は、付近の建物も少なくて、カクテル光線の明かりが私の家の部屋に直接差し込んできたことを覚えています」と振り返った。
「照明塔がなくなってしまう来年1月まで、まだまだ、いろいろなイベントを仕掛けていきたい」と語る田中支配人。「できるだけたくさんの方々に、川崎球場の貴重な歴史を伝え広めていきたい。そうでないと、いつかはフェンスまでも、野球ファンの熱い思いが顧みられないまま撤去されてしまうかもしれませんから」と危機感を抱く。
残る外野フェンスと金網は、川崎球場の左中間から右中間にあたる部分。長年風雨にさらされ、ラバーはボロボロ。何度も塗り直され、書き重ねられた企業広告の文字が、年代を超えて浮き上がっている。球場開場以来70年の歴史を含み、静かにたたずんでいる。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)