名門復活まで「とにかく、苦しかった」 涙の横浜高監督が71通の手紙に込めた思い

サヨナラで決勝戦を制し、喜ぶ横浜ナイン【写真:荒川祐史】
サヨナラで決勝戦を制し、喜ぶ横浜ナイン【写真:荒川祐史】

横浜の伝統をつないだ3年生の力

 3年生が入学する前、横浜の監督は正式に決まっていなかった。前体制で不祥事があり、高山大輝コーチ(現部長)が代行監督に。その影響で、進路を変更した中学生もいた。

 こうした中で横浜を選んだのが、現在は主力に成長した玉城や岸本、大坂啓斗外野手、板倉寛多内野手らである。だからこそ、村田監督は「3年生が、横浜高校の野球部をつないでくれた」と表現する。

 3年前のことを、岸本はこう明かす。

「横浜に入学することがほぼ決まっていた人たちのグループLINEがあって、玉城が『監督は代わるけど、俺たちは変わらないよな』と書き込んでいて、その言葉が決め手になりました。最初から玉城の存在感が大きくて、一言で表現すれば『漢気があるやつ』です」

 玉城が、横浜入学を決意したのは小学6年時まで遡る。横浜DeNAベイスターズジュニアに選ばれたとき、監督を務めていたのが横浜OBの鈴木尚典氏(現DeNA1軍打撃コーチ)だった。

「尚典さんに、『横浜高校を目指せよ』と熱い言葉をもらって、横浜でプレーをして、甲子園に行きたいと思うようになりました。中学では、横浜とつながりの深い中本牧シニアに入って、OBの久保木(大輔)コーチに出会い、さらに横浜への想いが強くなりました」

 1年時から試合経験を積んだが、2年夏の3回戦でアクシデントに遭った。ファーストを守っていた玉城は、ファウルボールを追いかけたときにフェンスに激突。のちに脳震盪の後遺症が現れ、2か月ほど練習から離れた。グラウンドに来ても、声を出すだけの日々が続いた。

「野球ができないもどかしさがあって、グラウンドに行くのがイヤになるときもありました。その中で、ほかの3年生がよく引っ張ってくれた。苦しかった時期を耐えたことが、優勝に結びついたのかなと思います」

 応援席への挨拶を終えると、スタンドで応援するメンバー外の3年生のもとに笑顔で駆けていった。

「自然に、『あいつらのところに行きたい』と思いました。メンバーを外れた3年生がバッティングピッチャーやボール拾い、グラウンド整備をしてくれたから、この優勝がある。『ありがとう!』と伝えたいです」

 2年連続の夏の甲子園。キャプテンは力強い言葉で締めた。

「行くだけでは意味がない。横浜高校という看板を背負って、甲子園でも一戦必勝で勝ち抜いていきたいです」

 新チームから掲げてきたスローガンは『結束力』。3年生を中心にひとりひとりが束になり、6度目の全国制覇に挑む。

○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。

(大利実 / Minoru Ohtoshi)

○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。近著に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)がある。

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