“強打の日大三”がスクイズで決勝点を狙ったワケ…「選手も監督もダメ」からの逆襲
秋の大敗も糧「この年になって、いい勉強をさせてもらいました」
「正直言って、菅生さんに勝った時点で『さあ、甲子園だ』という気持ちが、監督の私にもあった」と小倉監督は認める。ふとした油断が大敗を招いた。ここで名将は「俺が一番ダメだが、選手もダメ。みんなで0からチームを作り直すしかない」とナインに号令をかけた。
実際、昨秋の時点で絶対的なエースだった矢後和也投手(3年)は、怪我で出遅れたこともあって今夏は1度も登板がなかった。代わって、この夏から背番号1を付けた左腕の松藤が成長。5回戦では創価を1失点に抑え、練習試合を含めて初の9回完投。そして決勝戦も、結局125球、2失点完投で甲子園を引き寄せた。
小倉監督は「矢後の状態が思うように上がらず、みんなでやっていくしかない状況だった。逆にこういう時の方が、やれることがある。この年になって、またいい勉強をさせてもらいました」と感慨深げに振り返った。
2001年夏と2011年夏に日大三を全国制覇に導いた小倉監督の手腕がモノを言うのは、むしろこれからかもしれない。松藤は「三高には、みんな甲子園で優勝するために来ている。そのスタートラインに立てました」とキッパリ。「2011年、最後にエースの吉永(健太朗)さんが真っすぐで空振り三振に仕留めて、みなさんがマウンドに集まってくるシーンがかっこよくて、動画を繰り返し、数えきれないくらい見ています」と笑う。既にイメージは出来上がっている。伝説のユニホームが甲子園へ帰る。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)