大谷翔平の“未来予想図”は「大外れですよ」 日本ハム元GMが語る獲得秘話
韓国まで追いかけて確信「ナンバーワンは大谷かな」
日本代表となった大谷の最終チェックのため、山田氏は韓国へ飛んだ。「(他球団は)どこも見に来ないだろうと思ってね。ずっと見ていれば、ある程度は見えるだろうと考えた」。ところが、山田氏が唯一見られなかったカナダとの第1ラウンド初戦に、大谷は「4番・投手」で先発。その後はずっと打者としての起用が続いた。
「代表監督だった小倉(全由=日大三高監督)さんに聞いても『もう投げないよ』って言われてね。困ったなと思っていたんだけど、最後に奇跡が起きたんだよ」。山田氏が投手・大谷を目にできたのは、最終戦となった韓国との5位決定戦だ。投手不足で先発した大谷は7回2失点で負け投手となったものの、12奪三振。直球もスライダーもしっかり決める姿を見て、結論を出した。「藤浪もいたんだけど、この年のナンバーワンは大谷かな、とね」。
ただ、高卒すぐのメジャー入りを目指していた大谷はドラフト当日、指名を受けても「意思は変わらない」と口にし、日本ハム入りの可能性も「ゼロです」と言い切った。ここから約1か月半に及ぶ交渉の過程で伝えたのが、投打二刀流への挑戦だ。そんなことが本当にできるのか、誰も分からなかった。山田氏には別の思いもあったという。
「何年か両方やって、いずれは打者一本になっていくんじゃないか。そう思っていたのが本当のところです。だから、二刀流をやり始めた頃、よく解説者に『野手の方がいい』って言われたけど、それもまともな意見だと思っていましたよ。(当時は)投手と打者、両方が良くなった上に、えらいバッターになるなんて言う人はいなかったわけでしょ」。想定を超える成長を可能にしたのは、本人の強い意思だった。
唯一無二の二刀流で、なぜメジャーで成功できるまでになったのか。山田氏は「本人の中に違う目線というか『絶対できる』という自信があったような気がしますね。何が足りないかを把握して、常に努力していたという印象です」と振り返る。多くの選手をプロに導いてきた目にも、レベルの違いを感じる出来事があった。
「投手で完投した後に『ナイスピッチング』と声を掛けても、当たり前のような顔をしているんです。普通は少し興奮したりするところでも『当たり前ですよ』というか。この子の感覚は少し違うんだなと思いました。自分の中に大きな目標があったんじゃないでしょうか。上沢(直之)や高梨(裕稔)が10勝するなら僕は20勝てるとか、中田(翔)が30本打つなら45本というような。もちろん、口には一切出しませんけど」
さらに「栗山(英樹)監督も、本当に大変だったと思いますよ。栗山さんでなければ二刀流は難しかった」と山田氏は言う。二刀流を提案した日本ハムにも、成功へのノウハウがあったわけではない。どのくらいのトレーニングをこなせば投手と打者を両立できるのか、当時の首脳陣はシーズン中にも休養日を設けるなどの試行錯誤を続けた。「投手をやりながらバッターもやって、ウエートトレーニングはそんなにできないと思っていた」という山田氏は3年目、コーチから大谷が熱心にトレーニングに取り組んでいると聞いて驚いた。それも重いものを挙げるハードなトレーニングを積んでいると。大谷は4年目の2016年、打者として打率.322、22本塁打。投手としても10勝、防御率1.86を記録し、チームを日本一に導く。