イチロー氏が最後の“青波戦士” 坂口の引退で再脚光の「ラス1選手」はレジェンド揃い

現在はマリナーズ球団会長付き特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏【写真:Getty Images】
現在はマリナーズ球団会長付き特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏【写真:Getty Images】

89年に阪急からオリックス…91年にブルーウェーブ、05年にバファローズとなった

 ヤクルト坂口智隆外野手が今季限りで引退。NPBで最後の近鉄戦士が現役に幕を下ろした。ソフトバンクでは明石健志内野手が引退、残るダイエー戦士は和田毅投手だけになった。2019年に現役引退したイチロー氏(マリナーズ球団会長付き特別補佐兼インストラクター)はオリックス・ブルーウェーブ最後の戦士でもあった。ここでは球団名や愛称が変わったチームの“最後の戦士”を紹介する。

 坂口は神戸国際大付高から2002年ドラフト1巡目で近鉄に入団。2004年オフの球団合併に伴い2005年からオリックス、2016年からヤクルトでプレーして通算1526安打をマークした。2020年オフに巨人・岩隈久志が引退、近藤一樹がヤクルトを自由契約となり、この2年間、近鉄を経験した唯1人の現役としてプレーした。

 阪急ブレーブスは1989年にオリックス・ブレーブスに。オリックス中嶋聡監督が最後の“阪急戦士”だった。鷹巣農林高から1986年ドラフト3位で入団。西武、日本ハムを経て2015年に引退した。

 オリックスは1991年にオリックス・ブルーウェーブとなり、近鉄を吸収合併した2005年からオリックス・バファローズに。最後の“青波戦士”はイチローだ。愛工大名電高から1991年ドラフト4位で入団。NPB通算1278安打、3年目から7年連続首位打者、MVP3度受賞、最多安打5度など輝かしい成績を残して2001年にメジャーへ渡った。メジャーでも3089安打をマークし、2019年に引退した。

今季限りで引退した「最後の近鉄戦士」ヤクルト・坂口智隆(右、左は近藤一樹氏)【写真:荒川祐史】
今季限りで引退した「最後の近鉄戦士」ヤクルト・坂口智隆(右、左は近藤一樹氏)【写真:荒川祐史】

 今季限りで引退した明石は2003年ドラフト4巡目でダイエー入団。通算1008試合に出場した。41歳の和田は2002年ドラフト自由枠でダイエー入り。球団は2005年にソフトバンクとなっており、ダイエーのユニホームを着た唯一の現役選手となった。ダイエーの前身である“南海戦士”の最後は大道典嘉。明野高から1987年ドラフト4位で入団。ダイエー、ソフトバンクを経て巨人で2010年に現役引退した。

 1992年にオリオンズからマリーンズに変わり、千葉に移転したロッテ。1991年までの本拠地・川崎球場を知る最後の選手が堀幸一だった。1987年ドラフト3位で入団。通算1827安打を放ち、2010年に現役引退した。横浜大洋ホエールズは1993年に横浜ベイスターズに。最後の“ホエールズ戦士”はDeNA三浦大輔監督だ。高田商から1991年ドラフト6位で入団。引退する2016年まで一筋でプレーし、通算172勝を積み上げた。

(Full-Count編集部)

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