球史で最も無情な時間 「なぜ守らないと…」“10・19”の裏にあった猛者たちの涙

10回裏、優勝の可能性がなくなり失意の近鉄ベンチ(手前は仰木彬監督)【写真:共同通信社】
10回裏、優勝の可能性がなくなり失意の近鉄ベンチ(手前は仰木彬監督)【写真:共同通信社】

Wヘッダーの2試合目、優勝へ近鉄に残された攻撃は延長10回のみ

 1988年10月19日。川崎球場で行われたロッテと近鉄のダブルヘッダーは今でも“伝説の試合”として語り継がれている。シーズン最終戦、近鉄が優勝するためには引き分けも許されない、2連勝が絶対条件だった。球史に刻まれる試合を、近鉄の2番打者として経験した新井宏昌氏が当時を振り返る。(後編)

 ダブルヘッダー第1試合は同点の9回、代打で起用された梨田が中前適時打を放ち、近鉄が劇的な勝利を手にした。激闘から、わずか23分後に開催された第2試合も一進一退の攻防が続き、試合は延長戦にもつれ込んだ。

 この試合で重要だったのは、当時の「延長戦は4時間を過ぎれば新しいイニングに入らない」という規定。9回にロッテ・有藤監督の9分間にわたる猛抗議があり、近鉄ナインに残された攻撃は、延長10回の1イニングだった。

「当時、私の野球人生で優勝を経験したことは一度もなかった。仰木監督も就任1年目。首脳陣、選手もこの試合にかける思いは強かったです。何とかして全員で1点を取りに行く思いだけでした」

優勝の望みがなくなった10回裏の守備「優勝が終わったのに試合は終わっていない」

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