打者にぺちゃくちゃ“うるさい捕手” うどん配達の気遣いも…昭和のくせ者・達川光男
遠藤一彦氏が回顧…達川光男氏に「一番打たれたと思っている」
大洋(現DeNA)の大エースだった遠藤一彦氏。天下一品のフォークボールを武器に三振の山を築き、1983年には18勝9敗3セーブの成績で最多勝のタイトルを獲得し、沢村賞にも輝いた。1984年にも17勝をマークし、2年連続の最多勝。まさに球界を代表する投手だった。そんな遠藤氏には、1992年に現役引退するまでの15年間のプロ生活で、ある選手に最も打たれたイメージがあると言う。
他球団で主砲と呼ばれた選手ではない。当時の広島で下位を打つことが多かった達川光男捕手だ。「たぶん彼は僕で(通算)打率を稼いでいるんじゃないですかね。たぶんホームランはないと思いますけれど、とにかくヒットをよく打たれたイメージです」。顔も見たくないほど、苦手というわけではない。決して嫌な相手でもなかったそうだが、「一番打たれたと思っているのは、僕は達川ですね」と遠藤氏は言い切った。
「フォークを投げてもチョンと運ばれ、セカンドの頭を越えるような打ち方をされた」「ストレートはきれいにセンター返しされた」「チェンジアップを放っても、三遊間に引っぱたかれて、泳いでくれない」「彼にはカーブは投げてません。緩いボールは絶対打たれるというイメージが強かったから」。達川氏との対戦で思い出すのは、してやられた内容ばかり。「広島戦では(主砲の山本)浩二さんにも打たれてますよ。でもトータルすると達川のタイムリーで負けたとかの印象が強いんです。それがパッと出てきますね」と苦笑しきりだ。
ただし、マイナス面ばかりではない。達川氏絡みで縁起のいいエピソードもある。東海大出身の遠藤氏と東洋大出身の達川氏は、ともに1955年生まれの“同級生”。そんな関係もあって、大洋の広島遠征では「(広島市民)球場に入ったら『たっちゃん、うどん、頼むね』って提供してもらっていました」。当時から名物だった“カープうどん”。その差し入れを達川氏にお願いしていたわけだが、「それを食べて先発すると、カープ戦には勝てたんです」と明かす。
「時間もちゃんと聞いてくれたんですよ。先発だと早めに(試合前の)練習を上がるので、『(午後)5時半に頼む』って言ったら、ちゃんとその時間に売店の人がロッカーに持ってきてくれたんです」と遠藤氏は懐かしそうに話す。「それを食べてからブルペンに行って、アップして、ゲームに入って……」。そして勝利をつかむという流れだったわけだ。
試合で打席に入れば、達川捕手のマシンガントークが炸裂した。「『今日は調子ええのう』とか『あのボールは打てんわ』とか、(広島の)ピッチャーに向かって『おい、油断するなよ、こいつ、バッティングええけのう』とか、黙っていることはほとんどなかったですね」。数多くの打者と対戦してきた遠藤氏だが、いろいろな意味で達川氏は誰よりも忘れられない相手だったようだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)