応急処置で着けた赤手袋が“代名詞”に V9戦士・柴田勲氏が偶然出会った「女性用」
日本球界で手袋を着けたパイオニア…1967年の70盗塁で評判に
“応急処置”で臨んだ試合は、2安打2盗塁の好成績。「これは縁起がいいなと。それで日本に持ち帰ったんです」。
ところが、日本球界は手袋をして打つなんてまかりならぬ時代。「僕も打つ時は素手。塁に出たらポケットから取り出して、はめていました」。一連の動作がまるでゴーサインのように走りまくり、自身最多のシーズン70盗塁を記録。「そこから“赤い手袋”と評判になりました」。2年ほど経つと「面倒くさいから最初から手袋をして打ちました」。レギュラーで実績を残し続ける柴田氏に対し、首脳陣も文句のつけようがなかった。
以降、手袋はプロ野球全体に一気に広まった。それでも柴田氏が現役時代、他の選手が使う色はほぼ白か黒で、たまに青。「赤は柴田のオリジナルと思ってくれたのかな。他の人が赤をしても二番煎じだしね」。球界はパイオニアに敬意を払ったのかもしれない。
負傷から始まった赤い手袋との縁ながら「怪我防止のためにと考えてはめたことは一度もありません」と言い切る。「単なる縁起物。バッティングの感触も全く関係ない。色も赤から変える気はなかったです」。
柴田氏は引退後、ゴルフ場で白い手袋を着ける。ゴルファーは白か黒が多い。周囲からよく声を掛けられるという。「あれ柴田さん、赤い手袋じゃないんですか」と。「『いや俺、ゴルフでは白なんだよ』って返すんだけどね」と語る柴田氏の顔は幸せに満ちている。柴田氏イコール赤い手袋のインパクトは、ファンの心を捉えていまだに離さない。
(Full-Count編集部)