甲子園未出場校への進学はむしろ好都合 “最後の近鉄戦士”が特待生に固執したワケ
数ある強豪校から誘いも…当時甲子園未出場だった神戸国際大付を選択
野球人生が順調に進む中、高校進学を前に両親が離婚し、母・一枝さんと暮らすことになった。母子家庭となり、昼夜問わず母の働く姿を横目で見ていた坂口氏は、子どもながらに「負担はかけられない。勉強は苦手でしたが、野球は頑張った。特待生でいける高校にいく」と、進路の条件は心に決めていた。
多くの強豪校から誘いはあったが、その中でも熱心にグラウンドに姿を見せていたのが神戸国際大付の青木尚龍監督。現役引退の際にも一番最初に伝えた「人間教育を教えてくれた、僕の親父みたいな人」に心を奪われていった。当時の実家に何度も足を運ぶ姿を目の当たりにしていたのも進学の決め手となった。
神戸国際大付は春夏計8度甲子園に出場しているが、当時はあと一歩のところで涙を飲み、まだ出場を果たしていなかった。高校球児が憧れる甲子園よりも、プロへの思いが強かった坂口氏にとってはむしろ好都合だった。
「徐々に強くなっていた神戸国際だったので。そういった高校なら早い段階でレギュラーとして出られる。1年生から中心になれる高校を選んだ。その方がアピールもできる。家からも近くて最高の環境でした」
同い年のライバルたちは坂口氏の神戸国際大付への進学に「もったいない」「もっと強い高校に行ける」と声を揃えた。だが、“親孝行”と“プロ入り”への信念を貫いた少年は、その雑音をすぐに吹き飛ばす活躍を見せたのだった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)