“サイン拒否”しても目指す先発転向の是非 MVP直後に下降線も…少なくない“代償”
元中日・浅尾拓也は79試合登板の翌年から低迷
15年連続で50試合以上に登板し、プロ野球最多1002登板で407セーブを挙げた岩瀬仁紀(元中日)のように、異次元の“鉄人”は稀だが確かにいる。ただ、故障のリスクは常について回る。その岩瀬とともに中日の黄金時代を支えた浅尾拓也(現中日投手コーチ)は、“太く短く”のキャリアだった。
2年目の2008年に44試合に登板すると、2009年から67試合、72試合とフル回転。2011年には実に79試合に登板し、45ホールドで2年連続の最優秀中継ぎを獲得。驚異の防御率0.41をマークした。リーグMVPにも輝き、プロ人生の絶頂を迎えた。しかし、翌2012年から一転して下降線に。登板数は29、34、22、36と低迷した。右肩の故障は最後まで不安を拭えず、10試合登板にとどまった2018年限りで引退した。
実際、平良も2020年から登板数は54、62、61と腕を振りまくっている。先発に転向したからといって故障を回避できるわけではないが、勤続疲労のリスクもちらついているのは確か。球団との間で妥協点は見出せるのか。次回の交渉が注目される。
(Full-Count編集部)