20勝左腕は「最悪の契約」、守護神は故障… 阪神からMLB移籍に成功例なし?

阪神時代の藤川球児(左)とパドレスのロベルト・スアレス【写真:荒川祐史、ロイター】
阪神時代の藤川球児(左)とパドレスのロベルト・スアレス【写真:荒川祐史、ロイター】

藤浪晋太郎投手がアスレチックと合意

 苦しんだ大器が、米移籍で覚醒となるか――。阪神からポスティングシステムを利用してメジャー移籍を目指していた藤浪晋太郎投手が、11日(日本時間12日)にアスレチックスと1年契約を結ぶことで合意した。身体検査で問題なければ、正式契約となる見込みだ。阪神からMLBへ移籍するのは2012年オフの藤川球児氏以来となるが、ここでは過去に阪神から大舞台へ挑戦した選手たちを振り返っていきたい。

 阪神からMLBに挑戦した最初の日本選手となったのが、現在は日本ハムの監督を務める新庄剛志だった。2000年オフにFAでメッツへ移籍し、2001年は123試合に出場して打率.268、10本塁打と活躍した。藪恵壹は2004年オフにFA権を行使し、藤浪と同じアスレチックスと契約。2005年は中継ぎで40試合に登板し4勝を挙げたが、シーズン終了後に自由契約となり、その後2年間メジャー登板がなかった。ジャイアンツに所属した2008年は60試合に登板も、翌年DFAとなった。

 2003年に20勝を挙げるなど虎のエースとして君臨していた井川慶は、2007年から名門ヤンキースと5年契約を結んだ。しかし最初の2年間でわずか2勝に終わり、その後3年はマイナーで過ごすこととなった。ポスティング料を含めて総額4600万ドル(当時約50億円)の契約に見合う活躍はできず、その後米メディアからは「ヤンキース史上最悪の契約」の1つに選出されたこともあった。2012年オフには、守護神として2度のセーブ王を獲得した藤川が海外FA権を行使し、カブスと契約した。移籍初年度にトミー・ジョン手術を受けるなど、米3年間で29試合の登板に終わった。

 苦しむ日本選手が多い一方、“出戻り助っ人”の中には、力を発揮している選手が多い。1989年に在籍したセシル・フィルダーは、前年MLBで9本塁打だったものの、阪神では38本塁打と結果を残した。1年で退団し、移籍した米タイガースでは2年連続で本塁打王、3年連続で打点王に輝いている。

 直近では、ラファエル・ドリス、ピアース・ジョンソン、ロベルト・スアレスらが阪神で結果を残した後にMLBに復帰している。ドリスは米復帰1年目にブルージェイズで24試合に登板し、防御率1.50。ジョンソンもパドレスで中継ぎとして2021年には63試合に登板した。スアレスに至っては、昨季45試合で防御率2.27と結果を残し、オフに5年4600万ドル(約61億円)でパドレスと再契約し、“アメリカンドリーム”を掴んでいる。サムスンから加入した呉昇桓は2年間で127登板し、カージナルスに移籍した。

 藤浪は、プロ3年目には12勝を挙げるも、そこからは伸び悩んだ。昨季は16試合に登板して3勝5敗、防御率3.38の成績だった。ドラフト1位で入団し、常にファンの注目を浴び続けてきた。素材は誰もが惚れるものを持っており、専門家やSNS上などからは、環境が変われば――と嘆く声も少なくなかった。10年ぶりにチームを変えて再出発を切るが、アメリカで化けることはできるだろうか。

(Full-Count編集部)

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