狂った野球人生「調子に乗っていた」 掛布雅之を追いかけ“天狗”に…招いた大失速|球界群像 藤田学#5

阪神で主軸として活躍した掛布雅之氏【写真:共同通信社】阪神で主軸として活躍した掛布雅之氏【写真:共同通信社】

プロ1年目の掛布の打撃を見て「すごいな!」と驚愕

 永遠のライバルというか、宿命のライバルというか……。元南海投手の藤田学氏にとって、元阪神の掛布雅之氏はまさにそんな対象の人物だった。理由は単純明快だ。生年月日が「1955年5月9日」で全く同じだから。それを知った時から意識した。負けられない、早く追いつきたいとの気持ちが成長の糧にもなったという。プロ3年目に新人王に輝き、4年目、5年目には2シーズン連続で16勝をマークした裏には、この“ミスタータイガース効果”もあったのだ。

 南宇和高(愛媛)からドラフト1位で南海入りした藤田氏と、ドラフト6位で習志野高から阪神入りした掛布氏。当初の立場は藤田氏が上だったが、生年月日が同じであることは早い段階から知っていたという。「同い年の人だから、すぐに気がつきました。あっ、誕生日が一緒だなって」。そして、強く意識するようになったのは、掛布氏の実力を知ってからだった。

「1年目の開幕前の2軍のオープン戦みたいな試合で、大阪球場だったと思います。先輩が投げていたんですが、インサイドの球を強烈なライナーのファウル、その後の外のボールを今度はレフト線に二塁打。これはすごいなって思いましたよ」。ドラフト6位なんてもはや関係ない。投手と野手の違いこそあれ、生年月日が同じ選手はすごいヤツ。そう確信して以来、勝手にライバル視するようになった。

 実際、掛布氏は1年目から1軍で活躍した。藤田氏が2軍でくすぶっている間に、どんどん差を広げられた。同時に負けたくない気持ちも高まった。それが藤田氏の3年目の飛躍、11勝3敗、防御率1.98での新人王獲得にもつながった。「その年のオフの表彰式で掛布と一緒になりました。自分は新人王で、たぶん掛布はベストナインかなんかで来ていたと思います。話もしました。何をしゃべったかは忘れましたけどね」。

南海の中百舌鳥寮の前で写真に納まる藤田学氏【写真:本人提供】南海の中百舌鳥寮の前で写真に納まる藤田学氏【写真:本人提供】

4年目、5年目には2年連続16勝…これも“掛布効果”

 もっとも掛布氏はその年、打率.325、27本塁打、83打点のもはや阪神のスター選手。まだまだ近づいた気にもならなかったという。「阪神と南海では新聞の扱いとかも全然違うじゃないですか。やっぱりすごいですからね。阪神タイガースは……」。さらに発奮材料となり、藤田氏は続く4年目に16勝13敗、防御率3.28、5年目には16勝11敗、防御率2.87の成績を残した。“ミスタータイガース・掛布効果”もあって、順調に成長曲線を描いていったわけだ。

 これで自信もついた。というよりも、この結果に今度は天狗にさえなってしまった。「3年目は後期だけで10勝しましたし、4年目、5年目の16勝は1年間投げたら、こうなっただけと思った。実際、あの頃は普通に1年間やれば、15以上は勝てるって思ってましたからね」。

 そこから、流れが悪くなった。ライバルの掛布氏が48本塁打を放って本塁打王のタイトルを獲得した6年目の1979年、藤田氏はわずか8試合の登板で2勝5敗に終わった。「ちょっと調子に乗っていたのを、神様が見ていたんじゃないですかね」と振り返ったシーズン。開幕戦での怪我が野球人生を狂わせたが、同時にセ・リーグの、ある大物投手の忠告を“無視”したのも後に響いた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

球界群像〜藤田学編〜

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