他球団エースの親切心を“無視” 過信が生んだプロ人生の転落…いまでも残る後悔

南海などで活躍した藤田学氏【写真:山口真司】
南海などで活躍した藤田学氏【写真:山口真司】

「星野さんの言うことを聞いていたら、もう少し投げられたかも」

 これが響いて本来の7足半の投球フォームを取り戻したくてもできなくなり、1979年は2勝、1980年は3勝止まり。1981年に13勝をマークして復活したが、その時も手応えはなかったという。「6足半になって粘りがなくなっていましたからね。トレーニングやランニング量は少なくなっていましたし、たまたまって感じでした」。実際、1982年以降、成績は下り坂。1986年に戦力外通告を受け、現役を引退した。プロ通算成績は72勝65敗1セーブだった。

「今、考えてみれば、星野さんの言うことを聞いていたら、もう少し投げられたかもしれない。ただ歩幅を狭くしただけでなく、自分にもっと変わろうって気があれば、6足半で自分の体に合った腕の位置とか、いろんなことを変えることができたのに、とも思います。今は内転筋を鍛える方法とかもいろいろあるじゃないですか。ああいうのが昔あったらって思う時もありますね」と藤田氏は話すが、その一方で、こうも口にした。

「怪我をしたことが人間的には良かったと思います。それがあったから周りの人の温かさや親切さというのが分かってきた。ひとりじゃないっていうようなことがね。たぶん、それまではえらそうだったと思います。あのままだったら、それがもっとひどくなったかもしれないですね」

 現役を終えた藤田氏は指導者として力を発揮する。1999年には王ダイエーの1軍投手コーチとして日本一も経験したが、その当時の工藤公康投手のことは印象深いという。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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