池田が「やまびこ打線」であり続ける意味 栄光の“呪縛”に悩むOB監督が見つけた本質
池田高校の井上力監督は1986年春全国Vメンバー…2016年から指揮を執る
1974年の選抜高校野球大会で春夏通じて甲子園に初出場し、準優勝。部員11人で旋風を巻き起こし「さわやかイレブン」と称されて以降、徳島の県立高校である池田は名将・蔦文也監督の“前衛的”な育成理論と采配で一時代を築いた。金属バットの特性を最大限に活かすための筋力トレーニングで鍛え抜かれた選手たちが、甲子園に甲高い金属音をとどろかせ、相手を打ち負かす。その攻撃的な野球は「やまびこ打線」の異名を取り、全国制覇3度。守り勝つことが主流だった高校球界に大きな衝撃を与えた。
蔦氏の教えは単純だった。1986年選抜大会では「6番・中堅」で優勝に貢献し、2016年から母校で指揮を執る井上力監督は「あの柵を越えるように打つんじゃ」と教わった。たったこれだけだ。細かな技術指導はない。遠くへ飛ばさなければ怒られる。「ええか、ホームランは打てば1点なんじゃ。ヒットは3本打っても(後続打者が出塁できなければ)点にならん。だからあの柵を越えるように打つだけなんじゃ」と唱えた。
しかし、時代はうつろう。井上監督は「野球は遠くへ打てば勝てるっていう、そんな簡単な時代じゃなくなりました」と口にする。昭和から平成にかけて球児の投球術や守備力は飛躍的に伸びた。総合力の高いチームが優勝旗を持ち帰るようになり、私立全盛の時代に突入していく。
昨春、開校100周年を迎えた。母校の監督に就任して7年目だった井上監督は節目の年に「やまびこ打線」に対する考えに変化が起きたという。
「今でも毎年、いろんな報道の方が『やまびこ打線』と言ったり、書いたりするんですが、それはウチに長打や本塁打を期待していると思うんですね。でも池田にはもう凄いホームランバッターはいないし、みんな普通の高校生です。『やまびこ打線』は蔦監督がいた当時であって、今の子どもたちは違うのにと思っていました」