知的障害児を甲子園に…「夢プロジェクト」発足から3年目 見えてきた収穫と課題
メンバーの愛知県予選参加が実現も、見えてきた様々な課題
プロジェクトが大きく一歩前進したのも昨夏のことだった。初期メンバーの1人で愛知県立豊川特別支援学校・高等部3年(当時)の林龍之介くんが、連合チームの一員として愛知県大会に出場することができた。出場機会は代打としての1打席だったが、久保田さんは「林くんは本当にいい顔をしていましたよ。本人とご家族の熱意、学校と愛知県高野連の理解があって実現したこと。みんなの励みになりました」とプロジェクトに一筋の光が差すのを見た。
だが、林くんに続けとばかりにアクションを起こし、学校や関係団体に相談した家族もいるが、門前払いされて諦めてしまうケースが大半だ。久保田さんは「地道に交渉を続けてほしい」と思う一方、林くんの両親がたびたび壁にぶつかりながらも、豊川特別支援学校の高野連登録が許可されるように費やした熱意と時間の大きさを知るだけに「交渉は心身ともに莫大なエネルギーを要すること。その負担を考えると諦めてしまう気持ちも理解できます」とジレンマを語る。
練習会に参加することで満足するメンバーも少なくない。プロジェクトに参加する以前は、家族とキャッチボールをしたり打撃練習をしたりしていたメンバーがほとんど。同年代の仲間と一緒に野球をするだけでも夢のような出来事なのだ。だが、「甲子園夢プロジェクト」として高野連に加盟することはできない。メンバーが甲子園に挑戦するチャンスを得るためには、それぞれが通う学校が高野連に加盟することが第一条件となる。
「各都道府県高野連の知的障害児に対する考え方は様々だと思います。愛知県のような理解ある対応はまだ稀です。高く厚い壁を乗り越えることを、親御さんだけに託すのは酷なこと。夢プロジェクトとして3年目を迎えますが、さらに前に進むためには、どんな取り組みができるのか。林くんが踏み出した一歩を一歩のままで終わらせず、未来に繋げることが大事。こういった課題が解決できるよう、今後も活動を続けていきたいと思います」
どんなことでも成長には必ず停滞が伴うもの。甲子園夢プロジェクトもまた、発足以来の2年で成長・発展したからこそ、様々な課題が見えてきた。「野球が大好き」「甲子園を目指したい」。知的障害がある球児たちの純粋な想いが、当たり前のこととして受け入れられる日を目指して、活動は続く。
(佐藤直子 / Naoko Sato)