東海大相模時代と激変…門馬敬治監督の新たな挑戦 自ら食器洗い、連日90分のトラック運転
相模時代とガラリと変わった環境…毎日往復90分、自らトラックを運転
もし、生きていたら、この決断にどんな言葉をかけてくれたのだろうか。「『何やってんだ、お前は!』と言われたかもしれません。ぼくは、親父さんから直接褒められた記憶がないんです。『門馬、まだまだだぞ』と言い続けてくれた人で、日本一になっても変わりませんでした。ぼくにとっては、それはありがたい言葉でした」。
春夏4度の頂点をつかんでも「まだまだ」。「日本一は、ゲームセットの瞬間に思い出に変わります。その瞬間にすべては過去になる。もう、頭のどこかで新チームのことを考えていますから。今、この瞬間をどう生きるか。それは、どこで監督をしようとも変わりません」
座右の銘は、『一日一生 未来へ』。毎日が勝負だ。岡山に移り住み、日々の生活はガラリと変わった。東海大相模では、学校の敷地内にグラウンド、室内練習場、寮、自宅がある生活を20年近く続け、自らを「半径300メートルの人間」と呼んだ。近いエリアで、授業も練習も食事もすることができたからだ(4年ほど前から寮が小田急相模原駅近くに移ったことで、少しだけ環境が変わった)。
しかし、創志学園は違う。岡山駅近くで、人生初の単身赴任生活を送り、朝は自転車や車で野球部の寮に向かう。「朝は6時前には寮に着いて、コーチと一緒に朝食の配膳。選手たちが食べ終わったあとは、ぼくが食器を洗っています。はじめは1年生が洗っていたんですけど、『そういうことはおれがやるから』と、就任して3日目から変えました」。
その時間を使って、選手たちは素振りやシャドーピッチングに取り組む。朝のわずかな時間であっても、自主練習に励んでほしい。その習慣を付けてほしかった。
午後は練習時間に合わせて、荷物や用具を載せたトラックを自ら運転して、片道45分の道のりを走る。グラウンドまでの往復90分が、日々の移動時間となる。「正直、行きも帰りも長いですよ。でも、相模のときと比べても仕方がない。長いからこそ、運転しているときにいろいろ考えることができる。貴重な時間になっています」。