「こっちが仕切っとるんじゃ」 最強PL学園の“タテ社会”に戦慄…人気も規律も規格外

1978年夏の甲子園制覇の原動力となったPL学園・西田真二氏(右)【写真:共同通信社】
1978年夏の甲子園制覇の原動力となったPL学園・西田真二氏(右)【写真:共同通信社】

川端順氏は鳴門高から法大へ…1つ下に西田氏&木戸氏、2つ下に小早川氏がいた

 後輩はスター揃いだった。元広島投手で現在は徳島・松茂町議を務める川端順氏は法大時代を「春秋計8シーズンある4年間で8勝しかしていない。ホンマ努力しなかった。先発ローテーションに入ったのは2シーズンだけ。あとは敗戦処理みたいなものだった」と振り返った。周りはそうそうたるメンバーだった。1年下に西田真二外野手(元広島)や木戸克彦捕手(元阪神)、2年下に小早川毅彦内野手(元ヤクルト)と、実力も知名度も抜群のPL学園組がいた。「彼らともいろんなことがありましたよ」と当時を思い起こした。

 PL組の人気はとにかくすごかったという。1978年夏の甲子園で、逆転勝利の連続で全国制覇を果たしたPL学園。その原動力が西田、木戸のバッテリーだった。「西田なんか有名でしたよね。PLの優勝投手ですからね。大学では新人戦で完封したのに、次の日に『ピッチャーやめて、バッターでいきます』って監督に言いに行ってましたけどね。西田と木戸が入って、見に来るファンが増えましたよ」。

 そんなPL組に川端氏は感謝していることがある。「あいつらが来てから差し入れが多くなったんですよ。高級な肉なんかも来ましたからね。西田と木戸と小早川のおかげで、いいものを食べさせてもらった。ようお世話になりましたよ。それで栄養をとったよ、本当に」。

 法大合宿所の最寄りの武蔵小杉駅周辺ではよく酒も飲んだそうだ。「西田はね、よう僕についでくるんですよ。でも、あいつ、自分の酒はどうしているのかと思ったら、下にバケツを置いて、飲まずに入れていたんですよ。意外に次の日のことを考えるタイプ。こっちは敗戦処理だから、よう飲まされたけどね」と笑いながら明かした。

西田氏の外出を許可したところ、1学年上のPL出身選手が激怒

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