命削った猛虎打線との対戦 バース&掛布に勝つために…編み出した“弱者の兵法”
川端順氏は阪神が優勝した1985年に新人王…対阪神も3勝1敗1セーブと健闘
1985年のプロ野球は吉田義男監督率いる阪神がセ・リーグ優勝、日本シリーズも制した。ランディ・バース内野手、掛布雅之内野手、岡田彰布内野手のクリーンアップは超強力だった。元広島投手で現在は徳島・松茂町議の川端順氏は、その年の新人王。パームボールの変型「バターボール」を駆使して11勝7敗7セーブの成績を残したが、阪神戦も3勝1敗1セーブと健闘した。「すごかったよねぇ、あの打線」。当時の虎との戦いを思い出してもらった。
プロ2年目だった川端氏はこの年、先発も中継ぎも抑えも全てこなした。「勉強させてもらった。どの部門も大変だと思った。みんなの気持ちがわかるようになった」。“3役”をこなすのは阪神戦でも同じ。5月21日(甲子園)は2番手で4イニングを投げてセーブ。5月22日は4番手で打ち込まれて敗戦投手、7月6日(甲子園)、7月16日(広島市民)はリリーフ登板で勝利投手となり、10月2日(甲子園)は先発して7回3失点で白星をつかんだ。
「阪神戦ではいい時と悪い時がはっきりしていたと思う。防御率は5点台くらいだったんじゃないかなぁ」と言う川端氏は、その年、掛布氏に2本塁打、バース氏には1本塁打を浴びた。「1番が真弓さんでしょ。そして、あのクリーンアップでしょ。200発打線。もうどうしたら抑えられるんだろうって思いましたね」。まさに神経をすり減らしてのマウンドだった。
「(捕手の)達川さんには『バース、掛布にはとにかくフルカウントに持っていこう。球数はかかるかもしれないけど、考えさせるために、いろんな球種を使っていいいから、そこまで持っていくぞ』ってよう言われましたよ。達川さんは何パターンも攻め方を考えてくれたと思います。僕はその通りに投げるだけでした」。もちろん「バターボール」も使った。「ストライクゾーンには投げませんでしたよ。空振りも取れました。でも、1度に2回も同じボールに空振りするようなバッターじゃなかったですからね」。