命削った猛虎打線との対戦 バース&掛布に勝つために…編み出した“弱者の兵法”
憧れの掛布雅之氏に「小心もんで言えなかったら、逆の13だったんです」
浜風の影響でライトへのホームランが出にくい甲子園では掛布氏にもバース氏にも敢えて「インサイド勝負」を挑んだ。「2人に対しては、引っ張らせて、ファウルを打たせることを考えろって言われていましたからね。外のボールではファウルを打ってくれないので、とにかく、膝元に投げてファウルにする。ライトに、ライトに、目を向けさせるように、それが作戦のひとつ。それでフルカウントまで持っていこうって、なっていましたね」。その結果、阪神から3勝1セーブをマークした。
川端氏は「長嶋さんと王さんに憧れて野球を始めて、高校時代からは掛布さんのファンだった」という。背番号も本当は掛布氏と同じ「31」が欲しかったそうだ。「入団する時、背番号の希望を言わなかったんですよ。そんなことを言える立場じゃないと思っていたから。後になって、言えばよかったと思いましたけどね」。与えられたのは「13」。偶然にも「31」がひっくり返った数字だった。「今では13も好きな数字のひとつになったんですけどね」というが、当時はどうにも愛着がわかなかったそうだ。
「巨人の水野が31番をつけて投げている姿を見てうらやましかったですからね」。広島の「31」はドラフト同期で同じ東芝から入団した伊藤寿文捕手がつけた。なおさら「自分が要望していれば……」と思った。「冗談で伊藤に『31が欲しいな』って言ったこともありましたよ」。プロ2年目を前にして「31」に近い「33」が空くとわかって球団に変更をお願いした。そこでも伊藤捕手の「31」希望とは言えなかったが、その「33」になったシーズンで球宴初出場も果たすなど大ブレークしたのだ。
「いつだったか、掛布さんと一緒に酒を飲んだことがあって『31が欲しかったんですけど、小心もんで言えなかったら、逆の13だったんですよ』って笑い話をした覚えもありますね」。1985年、広島は阪神に7ゲーム差をつけられての2位に終わった。そんな阪神大フィーバーのシーズンで、新人王に輝いたこと、もちろん、大ファンの掛布氏と対戦したことも川端氏には忘れられない思い出となっている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)