ケンカ上等のハードな内角攻めに“待った” 「俺がやられる」…主砲から漏れた本音

元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】
元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】

内角攻めが信条だった鹿島忠氏…落合博満氏から「あまりインサイドいくなよ」

“威嚇球”が通用しなかった。野球評論家の鹿島忠氏は、現役時代、厳しい内角攻めでも知られた中日の中継ぎ右腕だったが、どうにも相性が悪い選手もいた。阪神・岡田彰布内野手(現阪神監督)だ。とりわけ打ち込まれたのは1989年シーズンで「その年、岡田さんと対戦したのは5打席か6打席だったんだけど、ホームランを3本くらい打たれた」。ギリギリよけられるレベルの内角球で体を起こしても全く動じることなく、外角球を踏み込んでとらえられたという。

 鹿島氏の内角攻めは相手打者に「狙っているんじゃないか」と思わせるくらいのギリギリのコースに投げ込む。打者のその日の状態を試合前の練習時点から綿密にチェックし、スコアラーからの事前情報などもプラスして、どこに投げれば、その打者が嫌がるかを研究した上で、目線の高さの球でいくか、膝元付近の球でいくかも決めていた。

「年がら年中、同じことをしているわけじゃないよ。くるんじゃないかと思わせるタイミングだったり、カウントだったりね。そして、やっぱり来たーって見せればいい。いいバッターにはどうでもいい場面でそれを見せていた。そういう選手とはここぞの場面で対戦することがあるから、イメージをつくっておいた。(ペナントレースは)トーナメントじゃないんだから、1年間、何回も当たるんだから、そういうことばかり考えていた」

 それは無死満塁でリリーフしたケースも例外ではなかった。「満塁だから、(内角の)厳しいところにはこないだろうって思っているところに、1球、ピューっと投げて“えっ、この場面でもくるの”って思わせたら、もう勝ちだからね」。もちろん、当ててしまったら押し出しになるから、それだけは避けなければいけない。それでも厳しく攻められたのは、当たらないギリギリのコースに投げる自信があったからこそだ。

「(中日主砲の)落合(博満)さんから『カシ、あまりインサイドいくなよ、俺が(相手投手に)厳しくやられる』って言われたこともあったけどね」とも鹿島氏は明かした。それくらい、ハードな攻めを繰り広げていたわけだが、岡田氏はそれを難なく攻略してきたという。

岡田彰布氏には、内角を攻めてひっくり返した直後に一発を食らった

「内角に投げて、岡田さんを打席でひっくり返したこともあった。両軍が出てくる騒ぎにもなったんだけど、あの人には関係なかったね。俺はあれだけひっくり返ったんだから、次は少々外のボールが甘くなっても大丈夫だろ、ストライクが取れればいいやと思って投げたら、カコーンってレフトスタンドへホームランだからね」

 1989年6月6日と同7日の阪神戦(甲子園)で鹿島氏は岡田氏に2試合連続でホームランを打たれた。7日の試合は延長10回にサヨナラアーチ。「いつもマウンドでは表情を出さないようにしていた。そういうところをバッターは見ているものだから、意識していたことだったんだけど、あの時はサヨナラで試合が終わったこともあって、マウンドでがっくりしてしまったのを覚えている」。

 同じ打者にまたやられたことがショックだった。「立ち上がれないくらいの状態だったのを(一塁手の)落合さんが『カシ、帰るぞ』って抱え上げてくれた。ベンチまで連れていってもらったのも覚えている」。ただし、これもバネにした。プロ7年目の1989年シーズン、この時点で3勝2敗となった鹿島氏だが、最終的には54登板でキャリアハイの9勝3敗、防御率2.56をマークした。

「あれは棚ぼた(の勝利)ばっかりだったけどね。2イニング、3イニング、当たり前に投げている間に逆転するみたいなね。内角攻めが、他球団に浸透した。完全に浸透したよね」。岡田氏に打たれて気持ちが切れるどころか、さらにギアを上げた。むしろ、いい薬になったようだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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